2010年1月18日月曜日

ついったーと神楽坂

ツイッターなるものを興味本位ではじめてみました。
先月ぐらいからですが、
また、これまでのSNSやブログと異なるおもしろさがあり、興味津々です。

http://twitter.com/1080fellowships

1ヶ月ほどやって、少しどれくらいの感覚でフォローしてよいか、見定めていたのですが、僕の今使っているiPhoneのアプリ、一度にEchofonが200程度しかつぶやきをアップしないので、よっぽどでない限り2時間前のつぶやきはフォローしない感じでスルーできるところがなかなか自分にはちょうどいいです。

ブログも今まで通りやっていきます。

あと、最近これだけ神楽坂に入り込んでいて、やっと、というか「拝啓、父上様」を追いかけて見ています。物理的地理関係のゆがみがあり、それ(全くめちゃくちゃではないところ)が逆にファンタジックで面白いです。二宮君はやっぱりいいなぁ。あんな男の子実際にはどこにもいないと思うんだけどそこが、芝居的で凄くいいと思う。

2010年1月5日火曜日

3DaysDrunk

年末より正月と実家にて、

御年93歳のばあ様と家族と酒を飲みつつ、本ばかり読みながら、ぼーっとこの一年をどんな一年にしてみようか俯瞰していた数日間。外はめちゃくちゃ晴れていた。

関が原のような、拓けたタフな平原にも見える1年を少し小高い丘のようなところから眺めている心境。

変化の訪れる音が聞こえる。濃密でスローモーショナルな時間。終わればあっという間の一晩のような一年。

どんなにへとへとになろうとも、最後まで無事に健康で、そして、満足いかなくとも納得のいく一年にしなくてはと思う。20代最後の1年。

今晩は急に雨が降ってきた。

きっとこれは何かのしるし。


今年もよろしくお願いいたします。


酔筆殴雨。

2009年12月28日月曜日

師、逝く

あまりに突然のことで未だ整理が出来ない。
この数日のめまぐるしい時間の動きに全くついていけてない。ただ、皆で先生を悼もうという残された者の意志が、自分たちを動かし、その中で、やるべきことや、振る舞いの中で刻々と時間が過ぎていった。集合時間に遅れないこと、みんなが動けるように配慮すること、参列してくれた方々の気持ちを不意にしないように動くこと。気がつけば、もう出棺の時間だった。一報から別れのその時までの時間のあっという間だったこと。


式が終わった後で、自分が先生と知り合った時間の全ては、医者から宣告された先生に残された短い時間の内だったことを知った。最後まで一歩でも前へ進み、進もうとされていた。あと半年あれば、また、先生はさらに何かを成し遂げ、偉大で、僕らの励みとなる業績を残されていたに違いない。あまりに早過ぎる急逝だった。


大きな背中だといつも思っていた。

その向こう側に何が見えているのか、ずっと追いかけていた。時間は短かったけれど、ちゃんと向き合ってくれていた。大事な励ましの言葉がたくさんあった。頂いたたくさんのヒントと可能性が、今も自分にはある。
これからまた、僕らはがんばらなきゃねと、仲間たちと確認した。何をどう頑張ったらいいかわからない。けれど、きっとそれでも変わらずに僕らは何かをやり続けるのだろう。


家に帰ってぼーっと手元にあったDVDをトレイに載せて再生。
HARMONYという音楽ドキュメンタリー。
さやというアーティストがこんな内容のことを言っていた。

「作品が残ったとしても、

それの出来上がったプロセスは残らない。

作者の考えはいつも頭の中にあるから。

でも、これが共同制作者がいると残るかもしれない。

たとえ、自分が死んでも、

その共同制作者に何かが残って、

それが誰かに伝わっていくかもしれないから。」

2009年11月28日土曜日

雨も晴れも曇りも

今月、前半は学会で長岡へ。

久しぶりに先輩にも会い、発表前日の懇親会から、二次会はかなり盛り上がった。遂に先輩同士引き合わせたいと思っていた二人の歴史的邂逅をセッティングすることもでき、かなり満足な飲み会。いろいろな人たちとお話させてもらったが、昔からよく知る人の考え方の変化などにも触れることができて、とても刺激的な飲み会だった。
また、あちこちでの盛り上がりが次の展開をも生み、また一つ自分の前にチャンスがやってきている予感。

翌日、地元の先輩の車で会場入り。自分の発表する午前のセッションは、とても充実していたメンバーで、とても熱が入っている話がたくさん聞けた。ずっとお会いしたかった人ととも会えて満足。

この時期の長岡は新潟らしい気候とのことで、1時間のうちに天気が何回も変わる。雨が降ってザーザーに降り出したかと思うと、20分後には晴れて、太陽が顔を覗かせる。
一日の内にこんなにたくさん虹を見たのははじめてだ。

写真は、帰りのバスから見た風景。ガラス越しの雨と晴れ。



2009年11月13日金曜日

ワインと頭突きの休日

大切な友人の結婚式のため、軽井沢へ。
新幹線で一時間のそこは東京と違う空気に包まれていて、避暑地の木立は既に冬支度をしており、夕焼けに染まる山際は、紅葉なお赤々としていた。

終始和やかなふたりの感じが出ていた素敵な結婚式でとてもよかった。教会結婚式だったのだけれど、今までで一番良い感じの神父さんだったかもしれない。というのは、なんともいい距離感のとれる、望ましい第三者だったような気がするからだ。遠くなく、近すぎず、神様と我々、新郎新婦と我々、新郎新婦と神様の間を取り持つ。ただそこにいて、議事進行するのではなくて、ちゃんと儀式をしていた。

そういう儀式の持っている他所からの承認って普段の生活からは縁遠いけれど節目のけじめとしてはすごい大事なことだなと改めて思った。

帰りの新幹線では、ワインのボトルを抱えた友人とこの秋亡くなったレヴィストロースのことを中心に、ナーガールジュナやお薦め映画の話や超人を発見することについて、駅と老人について、カルロスカスタネダについて
、とりとめなく、楽しく話した。式からずっと、あっという間の時間だった。

2009年11月2日月曜日

知らなかった。

ここ一年ぐらい、好きでよくネタを見ていたお笑いコンビのかたつむりが、今月で活動休止するらしい。家の都合ということらしく、それが解決したら、是非復活して欲しい。
彼らの笑いは悪ふざけというか、舞台が成立するかしないかのぎりぎりのところを突いてくる。お笑いの舞台は当然ながら笑いに来ている客に笑いを提供する。それはある意味ハードルは低いとも言えるし、笑おうとして構えているため、ハードルは高いとも言える。

その中で誰もが見なれたお笑いのステージは、決して見慣れたお笑いが展開しない。漫才がいつまでも始まらない。ボケの林がぐずって、漫才が全然始められない。ツッコミの中澤は、お客に謝りながら、林を何とか説得して、漫才を始めたい。会話はなんとかぎりぎりで成立している。駄々を捏ねるとはまさにそういう状態。概ね相手の言っていることはわかるけど、落としどころのない状態が、ずっと続く。
中澤の声を張った説得は、胡散臭さと本気っぽさが両立していて、理解しがたいボケの林が、茶番と真剣なボケの境界をぼかす。だんだん、本当に何を見せられているのかわからなくなる 笑
そこに真顔で林が「俺だって漫才やりたかったんだ」というとどめを刺す。

客と演者の共感のできなさが、舞台上で漫才を成立させ、舞台上では、意思の疎通が図れないまま(意思の疎通の探り合いこそが、漫才というか会話を成立させる前提でもある)、ただひたすらに漫才を渇望する2人。逆説的であるが故に、ボケとツッコミが、茶番の上でリアリティを持って上演され、ドライブしていく。そして、彼もまた客観視された遠いところから舞台を眺めて、舞台を、漫才を求めているのだ。

僕はかたつむりの活動休止ももしかしたら大いなる彼等の茶番なのではないかと期待している。そして、復活のときにはまた、あのサンパチマイクを探すのだ。


2009年10月25日日曜日

ひとが繋がる。知らず知らずに。

幹事をやっている同窓会の総会、代官山。

完璧に準備出来たとは言い難かったが、ほぼ滞りなく進んでよかった。
筑波の知り合いと東大の知り合いが仕事の現場で知り合い、仕事をしているということがあるみたいで、複数人に「◯◯さん知ってますよね?」と話かけられる。業界は狭い。が、なんかとても嬉しい気持ちになる。