大学の総合図書館の書庫はお気に入りの場所の一つだ。
天井が低く、ほの暗い。陰気な感じで生きた心地はあまりしないのだが、
それでも圧倒的な数の本が陳列されて、ふつふつと語りかけてくるようなそんな場所。感応センサーで自分のいる書棚の上の照明がつく。自分のいる部屋の離れた奥の棚の方で明かりがついて、頁を繰る音が聞こえる。上の階を人が歩く音がする。自分のそばで自分と違う世界へと出かけている人の気配とその音。そんな場所。
自分はその日は磯村先生の著作物を調べていて、借りてきた一冊を開くと本の頁の間から昔の貸出用紙の複写紙が出てきて、昭和40年11月22日に借りられたことを告げた。昭和40年から平成21年までの間にこの本を手に持った者がいないかどうかはわからないけれど、そこで本を開いた人が書棚に戻し、それを次に自分が手にしたことは間違いない。若い夏目漱石は、この図書館(厳密には当時のものとは違う)にあるすべての本のすべての頁に誰かが読んだ痕跡があることを三四郎を通じて驚嘆していた。
図書館の何か、醍醐味を感じさせる一瞬。
2009年2月16日月曜日
九州へ
今月上旬。
調査で単身九州へ。長崎~熊本~鹿児島と1都市2日ずつの日程で、資料収集と現場調査。とにかく歩いて、現場を確認するように見て行く。対象と自分の視覚を中心にした感覚の間を幾度も幾度も行ったり来たりしながら、思考へフィードバックさせていく。調査の内容はいずれちゃんとした場面でしかるべきアウトプットをするとして、付随して見て回った建築についていくつか。
長崎は、初めて訪れたので、かなり基本的な建築物からざーっと見た。近作では、運河をまたいで、展示スペースが採られた隈研吾の長崎県美術館と栗生明の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がかなり印象に残った。後者は特にうまく言葉に出来ない部分もまだあり、どこかでちゃんと整理して言葉にして説明を試みたい。建築自体がどうも静かに建っているわりにどこか饒舌なようで、なんとも言えない。ただ、息をのむ美しい空間が展開していたのは間違いない(アップした写真は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)。
近代建築は旧長崎英国領事館が中まで入れなかったけどファサードはかなり良かった。
熊本は、前川國男の熊本県立美術館が良かった。熊本城址の斜面の高低差にうまく展示室を振って、中央の吹き抜けに階段と渡り廊下で出会わせる計画などばっちり。
篠原一男の熊本北警察署は公園に隣接していて前面道路の幅員と、建物前にとった駐車場の関係でかなりセットバックして立っており、町並み的には違和感があまりない印象。相変わらずの力強いヴォリューム感。
鹿児島は現場回りが大変で建築をちゃんと見てまわれなかった印象。ところどころで、片岡安の中央公民館や、曾根達蔵の憲政記念館などは外観見学はできたけれど。
熊本の夜にぶらっと寄った熊本現代美でアラーキー展がやっていてこれがかなりよかった。今回のテーマ、一般公募の母親とその赤ちゃんのヌードポートレイトで、荒木にしかできない仕事ぶり。いい写真がたくさん見れた。
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