2009年12月28日月曜日

師、逝く

あまりに突然のことで未だ整理が出来ない。
この数日のめまぐるしい時間の動きに全くついていけてない。ただ、皆で先生を悼もうという残された者の意志が、自分たちを動かし、その中で、やるべきことや、振る舞いの中で刻々と時間が過ぎていった。集合時間に遅れないこと、みんなが動けるように配慮すること、参列してくれた方々の気持ちを不意にしないように動くこと。気がつけば、もう出棺の時間だった。一報から別れのその時までの時間のあっという間だったこと。


式が終わった後で、自分が先生と知り合った時間の全ては、医者から宣告された先生に残された短い時間の内だったことを知った。最後まで一歩でも前へ進み、進もうとされていた。あと半年あれば、また、先生はさらに何かを成し遂げ、偉大で、僕らの励みとなる業績を残されていたに違いない。あまりに早過ぎる急逝だった。


大きな背中だといつも思っていた。

その向こう側に何が見えているのか、ずっと追いかけていた。時間は短かったけれど、ちゃんと向き合ってくれていた。大事な励ましの言葉がたくさんあった。頂いたたくさんのヒントと可能性が、今も自分にはある。
これからまた、僕らはがんばらなきゃねと、仲間たちと確認した。何をどう頑張ったらいいかわからない。けれど、きっとそれでも変わらずに僕らは何かをやり続けるのだろう。


家に帰ってぼーっと手元にあったDVDをトレイに載せて再生。
HARMONYという音楽ドキュメンタリー。
さやというアーティストがこんな内容のことを言っていた。

「作品が残ったとしても、

それの出来上がったプロセスは残らない。

作者の考えはいつも頭の中にあるから。

でも、これが共同制作者がいると残るかもしれない。

たとえ、自分が死んでも、

その共同制作者に何かが残って、

それが誰かに伝わっていくかもしれないから。」

2009年11月28日土曜日

雨も晴れも曇りも

今月、前半は学会で長岡へ。

久しぶりに先輩にも会い、発表前日の懇親会から、二次会はかなり盛り上がった。遂に先輩同士引き合わせたいと思っていた二人の歴史的邂逅をセッティングすることもでき、かなり満足な飲み会。いろいろな人たちとお話させてもらったが、昔からよく知る人の考え方の変化などにも触れることができて、とても刺激的な飲み会だった。
また、あちこちでの盛り上がりが次の展開をも生み、また一つ自分の前にチャンスがやってきている予感。

翌日、地元の先輩の車で会場入り。自分の発表する午前のセッションは、とても充実していたメンバーで、とても熱が入っている話がたくさん聞けた。ずっとお会いしたかった人ととも会えて満足。

この時期の長岡は新潟らしい気候とのことで、1時間のうちに天気が何回も変わる。雨が降ってザーザーに降り出したかと思うと、20分後には晴れて、太陽が顔を覗かせる。
一日の内にこんなにたくさん虹を見たのははじめてだ。

写真は、帰りのバスから見た風景。ガラス越しの雨と晴れ。



2009年11月13日金曜日

ワインと頭突きの休日

大切な友人の結婚式のため、軽井沢へ。
新幹線で一時間のそこは東京と違う空気に包まれていて、避暑地の木立は既に冬支度をしており、夕焼けに染まる山際は、紅葉なお赤々としていた。

終始和やかなふたりの感じが出ていた素敵な結婚式でとてもよかった。教会結婚式だったのだけれど、今までで一番良い感じの神父さんだったかもしれない。というのは、なんともいい距離感のとれる、望ましい第三者だったような気がするからだ。遠くなく、近すぎず、神様と我々、新郎新婦と我々、新郎新婦と神様の間を取り持つ。ただそこにいて、議事進行するのではなくて、ちゃんと儀式をしていた。

そういう儀式の持っている他所からの承認って普段の生活からは縁遠いけれど節目のけじめとしてはすごい大事なことだなと改めて思った。

帰りの新幹線では、ワインのボトルを抱えた友人とこの秋亡くなったレヴィストロースのことを中心に、ナーガールジュナやお薦め映画の話や超人を発見することについて、駅と老人について、カルロスカスタネダについて
、とりとめなく、楽しく話した。式からずっと、あっという間の時間だった。

2009年11月2日月曜日

知らなかった。

ここ一年ぐらい、好きでよくネタを見ていたお笑いコンビのかたつむりが、今月で活動休止するらしい。家の都合ということらしく、それが解決したら、是非復活して欲しい。
彼らの笑いは悪ふざけというか、舞台が成立するかしないかのぎりぎりのところを突いてくる。お笑いの舞台は当然ながら笑いに来ている客に笑いを提供する。それはある意味ハードルは低いとも言えるし、笑おうとして構えているため、ハードルは高いとも言える。

その中で誰もが見なれたお笑いのステージは、決して見慣れたお笑いが展開しない。漫才がいつまでも始まらない。ボケの林がぐずって、漫才が全然始められない。ツッコミの中澤は、お客に謝りながら、林を何とか説得して、漫才を始めたい。会話はなんとかぎりぎりで成立している。駄々を捏ねるとはまさにそういう状態。概ね相手の言っていることはわかるけど、落としどころのない状態が、ずっと続く。
中澤の声を張った説得は、胡散臭さと本気っぽさが両立していて、理解しがたいボケの林が、茶番と真剣なボケの境界をぼかす。だんだん、本当に何を見せられているのかわからなくなる 笑
そこに真顔で林が「俺だって漫才やりたかったんだ」というとどめを刺す。

客と演者の共感のできなさが、舞台上で漫才を成立させ、舞台上では、意思の疎通が図れないまま(意思の疎通の探り合いこそが、漫才というか会話を成立させる前提でもある)、ただひたすらに漫才を渇望する2人。逆説的であるが故に、ボケとツッコミが、茶番の上でリアリティを持って上演され、ドライブしていく。そして、彼もまた客観視された遠いところから舞台を眺めて、舞台を、漫才を求めているのだ。

僕はかたつむりの活動休止ももしかしたら大いなる彼等の茶番なのではないかと期待している。そして、復活のときにはまた、あのサンパチマイクを探すのだ。


2009年10月25日日曜日

ひとが繋がる。知らず知らずに。

幹事をやっている同窓会の総会、代官山。

完璧に準備出来たとは言い難かったが、ほぼ滞りなく進んでよかった。
筑波の知り合いと東大の知り合いが仕事の現場で知り合い、仕事をしているということがあるみたいで、複数人に「◯◯さん知ってますよね?」と話かけられる。業界は狭い。が、なんかとても嬉しい気持ちになる。

2009年10月23日金曜日

フジヤマはナニイロ

河口龍夫展を見に国立近代美へ。

2年振りに先生の個展が見れた。
印象に残ったのは、数あれど想像が自然と駆け巡ったのは黒板塗料が塗られた地球儀。地球儀を支える木の丸い台座にはチョークが一本添えられている。ただそれだけのものが眼の前にあるが、想像はチョークの石灰質の塗り固められた粉の一粒一粒に及ぶ。このチョークの粉が黒板塗料の地球に雪を降らせた時のことを僕は想像した。しかし、依然としてこのチョークは線を引かれるのを待ち望んでいるのかもしれないし、消される覚悟はあるんだろうか?
ペンは口ほどにものを言う。というが、チョークはどうだろう。チョークに軸はない。ただ白墨の練りもの。剥き身で粉を散らし、何度も引き直され、どんどんと短くなる。もう地球にはどれくらい線が引かれているだろう。チョークの粉が山の様に積もって、地形を成しているのが、眼に浮かぶ。不二山に雪が積もる季節がやってきた。

2009年10月22日木曜日

俺はまだ歌舞伎を見たことがない

神楽坂で月例会。

次の議論へ向けて着々と進行。
だんだんと単純じゃない其々の思いも見えてきた。
今日も会終わりの打ち上げで、色々話ししたが、僕のことを地元の人たちは、もう何年も関わっているって思ってくれているのが、嬉しかった。高々一年ちょっと。でも、濃く付き合わせてもらっている。
こちらもまちのことを応援しているつもりだが、百倍応援され返している。嬉しい話や楽しい話もたくさん聞かせてもらって、借りだらけだ。今日の標題、歌舞伎の話はすごい楽しかった~。
たまこんにゃくの芥子は、辛かったな~。


色々と分けてもらった僕にあっては、返すものきっちり返して、お礼参りしなきゃなるめぃ。淡路町の澹さんの孫は義理無し仁義で返すってぇもんよ。相手が商売人ならなおのことよ。

2009年10月20日火曜日

劇的な3時間

なんか思いつきで、翌日午前中の仕事が空いたので、
終電で後輩KとKとうちまで来て、車に乗って星を見に山梨まで出かける。
盆地の夜景は、想像以上に良くって、地形がそうさせているよりは、
普通の光が、これだけ集まって瞬いているのが素朴に良かった。
車中、一晩中いろいろな話したり、流れ星ぼーっと見て、
明け方、ほったらかし温泉へ。

暗がりの中、ほんのりと空が明けてくるのただただ、湯の中で待つ。
湯に浸かってのご来光。初体験。というか、久しぶりの日の出を待つ体験。

よくパンチラインで夜明け前が最も暗いというが、
今日は明けた朝の明るさの劇的な変化がそう呼ばせているような気がした。
数時間前、太良ケ峠で凍えて流れ星眺めていたのが嘘のような展開。


2009年10月14日水曜日

怒り雨降って、土から我が子が生まれる

たまに怒りを人に顕にしなくてはいけない場面に出喰わすと、本当に消耗する。久々に疲れた。
普段から多少なりとも、実現したい光景へ向けて自分の内圧上げてやっているつもりだけど、自分の大切にしたい気持ちをシェアしたい人から軽く裏切られたり、雑に心情を扱われると正直しんどい。

とはいえ、自分だって知らずに同じことをやってしまっていることもあるかもしれない。



振り返る。



思い返す。


反省だけじゃ仕方がない。
昨日もらった今日は、ちゃんと明日に無事渡せただろうか?
今から自分は、ちゃんとしよう。
誰かに自分の仕事を任せる時は、自分の子供を養子に出すぐらい大事なことと思いたい。引き受けた仕事は、相手の大事な子供と思って大事にしたい。

また、それも大事な新しい出会い。あなたの捨てた子供は、今一度私が腹を痛めて産んだのだ。決して、死なせるなんていけないのだ。

こんにちは、赤ちゃん。お前はずっと傍にいろ。

2009年10月6日火曜日

海を手に入れる

助教の方が出張でお土産に雲丹の塩漬けを地元の方からたくさんもらってお裾分けしてもらった。
あれ?出張で行った村は確か内陸だったはず。。。?と思っていたら、平成の市町村大合併でできた町には、海に隣接した町もあって、この村だったところは、特産品に海産物もできたとのこと。

なんじゃそら。

と、思ってみたが、そもそも大概のお土産や特産品は、自分がつくったものでもないし、他人がつくったものなわけで、それを自分にとっての自慢にできるような(自慢じゃなくてもいいけど)関係性を持てるかが大事なんだなとおもった。認識できて、無理なく繋がれる、見えないネットワークでも、アイデンティティを形成することはできるのかもしれない。

雲丹の塩漬け、とても美味い。

2009年10月4日日曜日

あぐれっしぶうぇでぃんぐ

友達の結婚パーティーに出る。
馴染みの仲間や友達たちがたくさん揃う楽しいパーティーだった。僕も久しぶりの面子でピアノトリオでジャズミュージックを添えた。久しぶりだったので、前々日にリハなんかもしたりした。

パーティーは勿論すごい良かったんだけども、久々のどジャズな感じ。たくさんの感情のひだに触れるあの感じ。

懐しさが込み上げてきて、まるで時間が止まっているような、止まっていた時間が再び動き出してきたような。人は一人一人は変わっていくけれど関係、関係性はそう簡単に変わるものではないのかもしれない。自分と何かの関係。変わっていく自分と変わらずにそこに在り続けてくれるその関係に泣きそうになる。人との繋がり、音楽との繋がり。関係性がアップデートされずに、別れた次の日にまた会ったような感じ。
ありがとう、友達。そして何よりおめでとう。

2009年10月2日金曜日

久々に

テスト。
最近一念発起してiPhoneに機種変してみた。
そんなところ。

2009年3月17日火曜日

展示によって伝えるということも仕掛けていた

週末、最終日が迫っている東京オペラシティでの「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」展へ。

ヨーロッパを中心にスイスで活動している設計事務所ディーナー&ディーナーのプロジェクト展。かなり力の入っている冊子を見ながら、その通し番号がふられたプロジェクトの模型やコンペのプロジェクトブックを見るというもの。建築単体のプロジェクトからマスタープラン、新築からリノベーション、増改築まで幅広く、充実したその活動の物量に圧倒される。
どれも、かなり理性的なある種の正しさの元に設計、計画が立てられている印象が、とてもよかった。入り口で配られた冊子と展示の順番は必ずしもあっておらず、誰かの感想では宝探しのようだとプラスにとられていたが、ナビゲーションは正直わかりにくいものだった。

しかし、都市プロジェクトなどはもちろん、建築のプロジェクトの類は、絵画ではない。一目で「これはだめだな」と思うものは問題外だが、そう簡単に、それが何であるかなんて理解できない。
冊子で会場に展示されたプロジェクトを確認して、これはどんな計画なのか立ち止まってゆっくりと見る。冊子と、模型を何度も行き来しながら、展示品の周りをぐるぐる回る。このペースでないと展示内容は、ちょっと理解できないだろう。でないと、なんだかよくわからない内にそこを通り過ぎてしまう。
この展示は、何でも情報をわかりやすく、サービスとして出すことでは、逆に通り過ぎてしまうメッセージ、計画案を伝えようとしているように感じた。見る側は、しっかりと見てくれる、見たいと思う人が来てくれる。その人たちが自由にじっくりと鑑賞できるように、プログラムする。という、コンセプトなのではなかっただろうか。敷居が高いようでもあるが、理想も志も高い展示だったと思う。

2009年3月12日木曜日

装丁と新展開

数日前の思い出し日記。

田中さんと研究会。来年度の展開などについて話をする。
これまでの課題がクリアーになる部分もあり、実際の行動に出るということ、調査をしっかりやるということ。で、合意。来年度も楽しくなりそうだ。

注文していた古本が届く。比較的大きめの古本はきっちりと梱包され、それと一緒に古書目録も同封されていた。港や書店の古書目録は装丁が格好良い。他の古書店が比較的おとなしめだが、写真の四方裁ち落としで、表、裏表紙、背表紙とそれぞれ別々の写真をうまくつかっている。今回は大正時代は大阪の女学校の市内見学記念写真帳からのもので、とてもよい。

新宿ニュース

自分が調査等で関わった件が
ニュースになりました。
よかったらどうぞ。

http://www.mxtv.co.jp/mxnews/news/200902247.html

2009年3月11日水曜日

西国街道を往く


今月の地方出張調査を行ってきた。

場所は姫路、岡山、福山の3都市。
いずれも城下町都市で、城が現存、復元されている。こうして立て続けに城下町を訪れ、例外なく、登城したりすると、やはり子供の頃から自分が城好きだったんだなぁという感慨が、当時のわくわくした感情の記憶の断片とともに込み上げてくる。もっというと、僕は城の建築そのものよりも、プランや石垣が好きだった気がする。城模型も城を建築物単体で見るよりもサイト、ジオラマとして捉えて制作していたような。
当時から今につながる何かがあるなぁ。なんて思ったり。
ついでに言うと、世界遺産にもなった、国宝姫路城のかっこよさはなんと言っても石垣のかっこよさにあるような気がした。傾斜が急で、高くそびえている。その基壇のリフトアップ効果がなんとも、プロポーションをよくみせているようだ。

月末にも地方調査が控えている。

2009年2月20日金曜日

本が時間を旅する

大学の総合図書館の書庫はお気に入りの場所の一つだ。
天井が低く、ほの暗い。陰気な感じで生きた心地はあまりしないのだが、
それでも圧倒的な数の本が陳列されて、ふつふつと語りかけてくるようなそんな場所。感応センサーで自分のいる書棚の上の照明がつく。自分のいる部屋の離れた奥の棚の方で明かりがついて、頁を繰る音が聞こえる。上の階を人が歩く音がする。自分のそばで自分と違う世界へと出かけている人の気配とその音。そんな場所。

自分はその日は磯村先生の著作物を調べていて、借りてきた一冊を開くと本の頁の間から昔の貸出用紙の複写紙が出てきて、昭和40年11月22日に借りられたことを告げた。昭和40年から平成21年までの間にこの本を手に持った者がいないかどうかはわからないけれど、そこで本を開いた人が書棚に戻し、それを次に自分が手にしたことは間違いない。若い夏目漱石は、この図書館(厳密には当時のものとは違う)にあるすべての本のすべての頁に誰かが読んだ痕跡があることを三四郎を通じて驚嘆していた。

図書館の何か、醍醐味を感じさせる一瞬。

2009年2月16日月曜日

九州へ



今月上旬。

調査で単身九州へ。長崎~熊本~鹿児島と1都市2日ずつの日程で、資料収集と現場調査。とにかく歩いて、現場を確認するように見て行く。対象と自分の視覚を中心にした感覚の間を幾度も幾度も行ったり来たりしながら、思考へフィードバックさせていく。調査の内容はいずれちゃんとした場面でしかるべきアウトプットをするとして、付随して見て回った建築についていくつか。
長崎は、初めて訪れたので、かなり基本的な建築物からざーっと見た。近作では、運河をまたいで、展示スペースが採られた隈研吾の長崎県美術館と栗生明の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がかなり印象に残った。後者は特にうまく言葉に出来ない部分もまだあり、どこかでちゃんと整理して言葉にして説明を試みたい。建築自体がどうも静かに建っているわりにどこか饒舌なようで、なんとも言えない。ただ、息をのむ美しい空間が展開していたのは間違いない(アップした写真は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)。
近代建築は旧長崎英国領事館が中まで入れなかったけどファサードはかなり良かった。
熊本は、前川國男の熊本県立美術館が良かった。熊本城址の斜面の高低差にうまく展示室を振って、中央の吹き抜けに階段と渡り廊下で出会わせる計画などばっちり。
篠原一男の熊本北警察署は公園に隣接していて前面道路の幅員と、建物前にとった駐車場の関係でかなりセットバックして立っており、町並み的には違和感があまりない印象。相変わらずの力強いヴォリューム感。
鹿児島は現場回りが大変で建築をちゃんと見てまわれなかった印象。ところどころで、片岡安の中央公民館や、曾根達蔵の憲政記念館などは外観見学はできたけれど。

熊本の夜にぶらっと寄った熊本現代美でアラーキー展がやっていてこれがかなりよかった。今回のテーマ、一般公募の母親とその赤ちゃんのヌードポートレイトで、荒木にしかできない仕事ぶり。いい写真がたくさん見れた。

2009年1月29日木曜日

その都市のその場所のその時間

先日、移動中に地下鉄の構内のフリーマガジンのラックから一冊のフリーマガジンを手に取った。東京の地下鉄は、これでもかというぐらいの多種多様な情報小冊子で溢れているが、その雑誌もその一つ。どこかの不動産屋と広告屋が出していたものだったと思う。
今手元にもはやないので、そのマガジンのタイトルも憶えていない(ビラのことをフライヤーとはよく言ったものだ)。記憶を辿ると、「銀座なんとか」だったと思う。そう、銀座に特化したフリーマガジンだった。エディトリアルはいたって普通なのだが、銀座のいろいろな店にいろいろなシチュエーションで出かけていった人を想定したような感じで、○時の××のお店にいったビジネスマンといった形でお店を紹介する。最初が朝7時のヨガスタジオと、論語素読の喫茶店だったので、少し、「おっ」と思ってなかを見る。テーラー氏のインタヴューがあり、好きな銀座の時間はまだ誰もお客の来ていない朝、街が動き出す前の中央通りが好きだと言っていた。その雑誌はある種の広告媒体であるから、都市の中の時間を語る舞台となる空間はもちろんどこかの店なのはしょうがないが、都市の中のある場所には、常に附随する印象が空間を祝福する時間がある。毎日やってくる24時間1440分の内、その時間、瞬間にならないとその空間は場所の扉を開かない。テーラー氏の銀座の中央通りの扉はまだ薄暗い直線がほんのり青にそまった静かの朝にそっと開くのだ。そう思うと、僕らは普段の大好きな都市のある場所にあっても、知らないまだ開かれていない扉がたくさんあるような気がしてならない。

2009年1月28日水曜日

旧正月もやってきて

太陽も太陰もめでたく年が明け、ざっとここ最近を記録程度に順不同で振り返ると、研究室の新年会、新宿での打合せ、世田谷ボロ市に出かけ、建築学会のシンポジウムに参加してみたり、都で調査、神楽坂で勉強会に出たり、関西でギャラリー勤めの友人がこっちで仕事があるのにかこつけて、アイスバインと麦酒をしこたまやって、研究室のOBGの皆様とベルギー麦酒をやったり、建築のTAは今月でひと段落し、修論の相談に乗ったりと、それなりにいろいろなことが動き出し、日々英気を養いつつ、事を運んでいる感じ。今年はもう少しブログでログをとることにしようかと思う。雑多で扱いきれないこと覚悟で。

写真日和

なんとも写真写真していた週末。

恵比寿の写真美で「ランドスケープ 柴田敏雄展」を見て、コンパクトデジカメをいよいよ買い替えた。だいぶ悩んだが、これまで使っていたLUMIXで出来たことをパフォーマンスアップするというラインでリコーR10にする。これまでのコンデジで出来ないことをやるには、後日一眼を買う以外にないという判断で、GR、GX系はやめた。まだほとんで触れていないが、感触は上々。値段もかなり安くなっていた。汎用機としては全然充分。
ついで帰りに本屋で木村伊兵衛の本を買う。当時の情報がたくさん詰まった貴重なカットの数々。当時の写真を見ていると、状況記録として撮られているものの中にそれ以上の何かが、逆に淡々と撮られている様に感じる。

前述の写真展。
個人的にはかなり満足。山間の土留めのコンクリート塊の物質量が画面いっぱいに情報として出てくる。麓から山を眺めるとき、山の威容にはいつも圧倒される。それとは微妙にずれてた位置にあるコンクリート塊。山を飲み込むでもなく、コンクリートは斜面に沿って、山に深く刺さって、表面が洗われて居る。山の斜面をどこからか眺めて撮られたカットは、山の斜面をさらに斜めにカット割りされていて、複雑なパースをもたらし、どことなく上下の平衡感覚が失われる。足がぐらつく巨大な画面構成の前に僕は気がつく。僕は今直立して、この写真を見ており、この写真は直立した壁にかけられた写真なのだということに。

2009年1月20日火曜日

寒風美函

今月前半は2つ展示に出かけた。

ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。

ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。

2009年1月14日水曜日

北風は、連れ去った

昨日、自分の家の向かいに住むおばあさんが亡くなり、告別式へ参列した。

このおばあさんは、近所で最も気さくに声をかけてくれる人で、実家へ出戻ってきてからというもの、よくよく会話をしたり、何かしら家の冷蔵庫から持たせてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。
そして、彼女は僕の子どもの頃のことをよく知っている人で、彼女にとっての僕とは子ども時のイメージが最も強く、いつまで経っても彼女にとっては僕は坊やであり、こうして亡くなる直前までかわいがってもらっていた。
彼女は家の前で僕を見かけると、いつも挨拶してくれ、そして、僕の全く憶えていない子どもの頃の僕の様子を聞かせてくれた。それはまるで、記憶喪失者のリハビリのようで、自分の知らない宝が僕の中に眠っているのをひとつひとつ掘り起こしてくれるようで、なんともこそばゆいものだった。

知らない自分を知っている。
などと大それたものではないけれど、僕が思い出せない僕の幼少期の記憶、歴史は少なくとも彼女の記憶の断片にはしっかりと刻まれていたのだ。もちろん、今は彼女がいなくなってしまった悲しみと寂しさの只中に自分はいるけれど、同時にもう二度と甦ってこないやもしれない自分の過去、彼女との関係の中にあった幸せの中で過ぎていった時間もまた、沈んでいってしまったような気がする。大人になっていくということ。それは今の自分を知ることになる多くの人と知り合い、自分の原点を知る人はどんどんといなくなっていってしまうという当たり前の事実を前に言葉が出ない。この数年間僕は彼女と会話することで、僕は生まれ育った街で、自分の原点的な何かをもう一度見つめなおしていたのだ。その機会を彼女はその優しさを湛えた笑みと共に僕に与えてくれていたのだ。


今年の正月。
つい1週間半前のことだ。彼女はまだ向かいのうちに自分で挨拶に来てくれるほど、元気だった。それが、ちょっと冬が一瞬本気を見せて、北風を吹かせた途端に彼女を浄土へと連れ去ってしまった。今日も街を冷たい風が吹きさらしていた。

2009年1月7日水曜日

物質と痕跡

自分へのお年玉代わりというわけではないけれど、ちょうど手頃な値段で古本屋に河口龍夫作品集が出ていて早速注文。久しぶりにゆっくりと河口作品を堪能。

去年、近作を展示で見て、気持ちが揺さぶられていたのとは違う感動を初期から中期の作品に感じる。ある物質に残された意図的とも意図的でないとも言える夥しい痕跡の数々。例えとして正しいとは思わないが、はじめて原爆ドームに残された人の影を見たときの言葉に出来ない感覚に近い揺さぶり(決して同じ感覚ではない)が、そこにはある。
生々しい痕跡。暖かくもそこに存在していた何かという、根本的なこちらに訴えかける何か。

痕跡。

このキーワードについては考えたいことがたくさんある気がする。作品をつくるということ。宙に消えない何かが生まれるということ。作品(のようなものも含めて)をどのように呼ぶかは別にして必ず生じる痕跡。そのままにしておけば、時間の流れは痕跡を消し去ることもある。それを風化とも呼ぶ。風化すらも、風が時間の流れの中に爪あとを残し、其の前にあったもの別な形に変えるということだ。

果たして僕は痕跡とどう付き合っているかなどと答えも出さずに自問する。

2009年1月6日火曜日

明けましておめでとうございます




本年もよろしくお願いいたします。