2008年5月31日土曜日

彼方から音盤が(その2)~極々私的ディスク選~

【2】 Date Course Pentagon Royal Garden / GENERAL REPRESENTATION PRODUCTS CHAIN DRASTISM

dbの盟友、南舘崇夫は音楽に対して実に饒舌に語る熱い男であるが、時にその音楽を口頭で表現する際の擬音表現においても、その舌は止まることを知らず雄弁に語る。擬音という、音楽的言語表現とジャズミュージックの関係(実際、ジャズに限らない。邦楽をやるフランス人もこれと同様の問題に突き当たるだろう。)は、ネイティブか非ネイティブかと問題へも発展しかねないシリアスな問題だ。日本ではシンバルレガートをチーンチキ、チーンチキなどとよく言われるが、「おまえのそれはまるで、イーンチキ、イーンチキだ」と揶揄するような言い方でも使われ、南舘もこうした点において今まで有意識、無意識問わず、数々の試行錯誤のもと彼独自の音楽が表出するような擬音表現をしてきている。
例を挙げるとキリがないが、僕が聞いたものの中で、正に目が覚める思いで唸ったものをひとつ挙げよう。バンドのリハをしていた時にある曲の話になり(その曲はもはや思い出せない。その擬音と事実しか今の僕の記憶にはない)、その楽曲中のブレイクについて彼が言及しようとした。それはギターのカッティング、それもおそらくダウンストロークからアップストロークの裏拍からの8分音符2音続きとドラムのスネア、ハイハットのハーフオープンからクローズ(ギターと同じリズム)によるもので、彼はそれを「すちゃ」と表現した。

「すちゃ」!!

おお、なんと愛くるしい擬音だろう!
もう一度、

「すちゃ」!!

裏拍という無音の虚空をつかむような感覚、「間」そのものへ果敢にアプローチしている「ス」という音。裏拍の裏感と、音が鳴っている有音感がこの「ス」には豊かに含まれている。僕はこの「すちゃ」という言葉をことあるごとに愛し、使用させてもらっている。その都度彼の顔が頭に浮かぶ。「すちゃ」!!
そんな彼が僕に薦めてくれた一枚。しかし、このCDの中で、「すちゃ」は全く登場しない。それでも、DCPRG主宰者である菊地成孔のコンダクト姿を模しつつ、冒頭一曲目Catch22のブラスセクションのリフを得意の擬音で表現してくれた彼の姿と唄は今も僕の心を掴んだまま離さない。僕はそのときの擬音を残念ながら、録音することはできなかった。もし、録音が可能であったら、その子音と母音がどのような関係でどの楽器のどの音にあてられているか、分析することも可能だっただろう。しかし、今ではもう全く成し得ないことだし、ここでこうして記述されなければ、もう二度と想像されることも無い音であった。そして、その擬音は永遠に僕のおぼろげな記憶の中で鮮明に鳴り続ける以外に再生される空間は無く、まさに空へと消えていった音を僕は追う以外に術はない。

彼方から音盤が(その1)~極々私的ディスク選~

パソコンのデータを整理していると、数多くの書き散らかしたメモや文章、スケッチ、写真や画像などが出てくる。今回もそうした中で1年以上も前に友人の三谷に頼まれて書こうとしていた原稿が出て来た。結局、そちらは引き受けたもののぐずぐずしていて未完成のまま、原稿を落としてしまった。(実際にはWebで載せたいということだったので、落とすも締め切りもないのだけど)
せっかく、見つけたので、こちらに掲載してみようと思う。
お題は、あなたの好きなCD10枚を挙げて、自由に思いの丈を書いてください。というものだったと思う。ひねくれた僕はディスクレビューをするということを軽く放棄して、書きたいことを書こうと思ったのだが、当時あまりにも頭でっかちになってしまい。書ききれなかったのだと思う。この文章はそれの断片。


彼方から音盤が~極々私的ディスク選~


【はじめに】

音楽(とりわけある音盤)との出会いには大きく二つに分類することができるだろう。ひとつは自発的、偶発的の差あれど、自らその音盤に出会うケース、もう一つは誰か他人に推薦され、その音盤に出会うケース。これまでに筆者も様々な音盤と出会っているわけだが、その中で個人的な思い入れのある10枚を選ぶというこの依頼に対して、前者のものはあまりにも数が多く、選ぶための全体を把握すらできないだろう。
そこで、今回は後者の方、他人に推薦された音盤から選び、それを紹介することにした。
もっと言うと自分にとって心に残る印象的な人を10人選び、彼らが自分にいったい何を薦めたかということを飛び越えて、その人が僕に与えた音楽的な何かを直接・間接的を問わず書いてみたい。それは言ってみれば、僕の音楽的人格形成に影響した人々についての話に最終的になっているのと思うし、それがたとえディスクレビューという形になっていなくともまずは書いてみることにする。だからと言ってはなんだが、極力そのCDに関することは敢えて書かないようにもしてみる。また、これらは総て僕の後日談であって、多分に妄想的回顧録であることは前もって断っておきたい。そして、そうした性質を持ったテキストであるため、各テキストの文中には必ず最低1回は記憶があいまいなこと、失念していることを書き記し、僕がもう当時とはずいぶん遠くに来てしまったということを記しておく。


【1】Keith Jarrett / The Melody at Night, With You

これは関東平野の闇を切り裂く夜中の2時頃に県道をひた走る車の中で初めて聞いた。厳密に言うと、これは直接的に薦められて聞いたものではない。彼らが聞いていた時に自分もそこに居合わせていただけだ。このCDをおもむろに車内でかけた男はつい先ほどまで、あるジャズクラブ(そのクラブの名前は忘れた)で演奏をしていた、KAZUこと横島和裕氏だ。彼の運転するワゴン車の助手席には、ドラムス大井澄東氏が座っており、今日のギグのことを話している。僕はその後ろのシートで暗い中、二人の話を聞いている。当時、本当に小僧だった僕はボーヤをしていた。エンジン音の間から乾いたピアノの音が鳴り、車は北上している。前の席の二人が黙る。煙草に火がつけられて、窓が開く。「こういう音楽が俺たちには必要だ」と横島さんが呟く。窓が閉じて、車は川を越えて、帰宅の途に就く。この時僕はまだ、キースジャレットがこのアルバムを病気からのカムバックのために自宅で録音したものだとは全く知らない。車はこの日のギグへの思いをつめて、一日を終らせるために走っていた。

2008年5月29日木曜日

目が乾く雨降りの日

最近、使っていはじめている使い捨てコンタクトレンズがどうも調子悪い。
基本的に終電で帰宅と、装用時間が長いせいもあるが、あまり自分には合わないのかもしれない。深夜の話と言えば、夏至が近づいているので、夜がとても短い。終電で家に帰って、だいたい、2時前。晩飯を食べて、ちょこっと作業したり、練習したりとして、4時半過ぎには空がもう明るい。この時期の明け方は、冬に比べて、空が青くて綺麗。

昨日は行き帰りの電車の中で先日古本屋で買った、村上龍・坂本龍一の「モニカ」という本を読む。
坂本の夢日記を素材に、原稿用紙4枚分の短編と写真を村上が提示しているというもの。夢日記自体も面白いのだけど、村上はこの企画でモニカという、男なら誰もがそれぞれの中で、持っている理想の女性(ここではそれをモニカと呼んでいる)の話を書いている。モニカはその憧れゆえ、触れることができず、向こうから質問はされても、こちらの質問には応えない。会話というよりはある種信号のようなものとして、一人の人間の内なる世界としてモニカは表現されている。僕にも、もちろん「モニカ」はいる。たぶん、幼い頃の記憶がめちゃめちゃに断線して、混線して、創り上げられたイメージ上の理想の女性。それがもうすでにどこか夢的な構成物で向こうから質問を浴びせてきている。これがどういうわけか25歳を過ぎたあたりから妙にそれまで以上に僕に語りかけているような気がする。暗示にして不可解すぎて、醒めない夢の中に今日もいるようだ。

2008年5月26日月曜日

大盛りを茹でる

週末、社会人大学院の演習の最終講義を見学に行く。

受講生は皆さん、都市計画のプロばかりが、僕らがやった課題と同じ対象地で演習を行う。演習の内容はその地区の景観を読み解き、提案をするというもの。
いずれも、その課題から制度設計やプログラムを組み所まで提案していて、さすがプロという感じ。どういう組織をつくるか、それでどのように景観向上を目指すかという議論。非常に勉強になった。一方で、その対象地の景観がどうなっているか、良い景観とは何か?といった空間論的視点の話があまり聞かれず、彼らがどういう風に実地を感じたのかがあまり聞かれず、やや残念。一緒に発表会しあって議論をしたら面白いと思った。
同じ課題であってもやる人が変わればこれだけアウトプットが如実に変わるというところが興味深い。


今晩は家に一人だったので、久し振りにパスタでも茹でようかという気分になり、つくば時代に愛用していた皿を引っ張り出す。この皿、非常にお世話になっていた益子のギャラリー「もえぎ」http://mshop.cool.ne.jp/で買ったもの、白い釉薬がかかった大振りの粉引き。
改めて。この皿を眺めてみて、でかい。実に僕の食い意地の悪さが形に表れている。なんて言うと皿に悪いが、「ちょっとでかいでしょ、これ」というサイズ。まぁ、一人用ではない、大皿盛りパスタ皿なのだから、しょうがない。これに2~3人前は盛って、お一人様で食べる。イメージとしては、紅の豚のピッコロ社でのまかないパスタのイメージ。ちょっとこんもりするサイズ。皿の縁が高さ2cm程度、まわっているところが気に入っている。これで、山盛りにパスタを盛ってもソースがこぼれない。食べ終わった後のちょっとした後悔がいつも苦し気持ちよい。今日は久し振りだったが比較的うまく茹でれた。

2008年5月23日金曜日

しょーじきもう帰ろっかなって思ったでしょ?

今日は一日ルーチンワークだった。

膨大なデータが目の前にあるので、これを整理するだけでしばらく時間が取られてしまいそう。ルーチンは誰かに任せればいいのだけれど、こういうところから拾い出せる発見にまだまだ賭けているところがあるので、結局自分でやることになる。道のりは長いが全然嫌ではないので、まだまだ頑張る。

今日帰りがけに浅野いにおの「おやすみプンプン」2巻を買って電車内で読了。本巻も圧倒的。もうじき次が出るらしい。p182-3の見開きがすごい。思わず震える、三鷹駅。

2008年5月21日水曜日

「思い出」のやりとり

今日は、今年度に始まった自主プロジェクトの打ち合わせ。景観を体験として共有するというようなことがテーマ。

3人でアイディアを出しながら議論をしていく感じなので、モノが生まれてくるような面白さがある。久し振りにいい議論ができていると思う。

今日の議論の断片をいくつか。
・「思い出」は相続できない
・長期的時間の中に「思い出」が生まれ、短期的時間の中に「経験・体験」が生じる
・ジェスチャーとしての空間認知のあり方
・「思い出」と「歴史」の関係

体験というキーワードから始まり、時間の中でそれがどう行われるか、考えているときに僕が普段音楽やっている中で考えている「時間をどう捉えるか」というテーマに一気に近接していき、個人的には盛り上がった。

以前、ドラムソロやフリーインプロの方法論として、ごくごく個人的であるという自由さについて考えていたことがあって、その時のテーマも「思い出」だった。個人の領域としての「思い出」の再現とコラージュによって、たしか楽曲の形を作ろうとしていたのだと思う。それが実際どれくらい成功していたかはもう思い出したくもないけれど。フリーインプロみたいなことをやりはじめたときに、頭の中がちがちにして、自由であるということと、自分にしかできないことみたいな牙城に篭りきるために、「思い出」から始めようという、もう前衛なんだか、保守なんだか。頭の硬いをことを考えていたこともあったなぁと。
思う。ただ、今でも思うことは、個人の不可侵な領域としての「思い出」と個人の「ボキャブラリー」というのはすごく近接していて、とても大事な問題だろうということだ。それありきで、会話が成立しているわけで、これから脱却することはできない。場面に応じて、「思い出」の再統合をして、表出させているのだろうと思う。ひらめきだけで、100m走り切れることってそうそうないことだろう。
で、もう一方で実は忘れるっていうこともすごい大事だと思っているが、それはまた今度(「思い出」の話ももっとちゃんと整理して書きたい)。

2008年5月20日火曜日

思い出し日記:バンコクの街角、エラワンシュライン

先週のバンコクの話。

バンコクの中心部は、BTSというスカイトレインが走っていて、これがずっと上を走っている大通りをスクンビット通り(確か西側は名前が変わったと思う)という。バンコクは以前から、朝夕の渋滞が激しく、まさに待望のスカイトレインであった。スカイトレインが開通したのは、僕がはじめてバンコクに来た時よりも前であったから、それ以前のスクンビット通りを僕は知らない。多くの車、バイク、トゥクトゥクで、前になかなか進めず、クラクションけたたましい、そんな光景だったのだろうと思う。しかし、想像するに想像しているそれは、今の光景と大して変わらない。

この大通り、中心部に相応しく、サイアムという商業、業務の中心地を貫通する重要な通りで、周囲の建物はデパート、ホテルや銀行が立ち並んでいる。上部に高架がある感じからして、今の東京の六本木っぽい雰囲気とも言えるが、位置づけ的には銀座や丸の内という感じか。

このスクンビット通り沿い、2本のBTSがクロスする大きな交差点がある。それが、この写真。エラワンシュラインという、仏教の祈祷スペースというかオープンエアの寺(お坊さんがいないところを見ると、仏教モニュメント的体裁)である。
大きく街区の隅を切られた交差点の向かいに視線を向けると、僕らのよく知るルイヴィトンがデパートの角に鎮座している。ここは商業の中心地であり、と同時に宗教モニュメントも存在しているのだ。エラワンシュラインのあるこちら側は、人々が集う祈りの空間(ルイヴィトンも資本主義に祈りを捧げている人々が集まっていると思うが)になっている。そして、線香の煙はビルの照明を霞ませ、高架鉄道は上空を疾走する景色が展開している。
元来、東京と共通のアジア的な何かを内在させた都市として、僕はバンコクを意識している。違うことは知っている。でも、何か東京の延長上で出かけていける街なのだ。今回も、暑いは暑いけれど、東京で何か新しい発見をするようにバンコクを歩いていた僕はいきなりガツンとパンチをもらうことになった。

バンコクにパンチ食らった僕は線香の煙と、熱帯の熱の中に佇む。人々は花輪を祭壇にかけて、祈る。後方では、木琴と銅鑼、鐘が鳴り、歌と踊りが披露される。そこでも祈る人、それを裁く人、踊り、奏でる人。祈り終わった人、これから祈る人。祈る人に何かを売ろうとする人。僕と同じでそれを眺めているだけの人。
ヴィトンのウィンドウのガラスパタンのモアレに目が眩むより先に、線香の煙が、涙目の都市景観を僕に拝ませ、背中を汗が滴り落ちる。

2008年5月19日月曜日

タイに行っていた

先週末、タイ人の友人の結婚式に出るため、バンコクに行っていた。
こんな機会滅多にないと思い、だいぶ張り切ってた旅行になった。バンコクは通算で4回目ぐらいか。海外で最も滞在し、訪問している都市。行く度に発見があるのはどこも同じ。
気が向いたら、思い出し日記として、旅行記でも書こうかと思う。

今日は、午前中雑誌の連載の打合せ。最終回のキックオフMTG。ネタ出し。面白いネタもたくさんあり、次回MTGが楽しみ。午後はまるっと作業する。お土産で買ってきたタイ風プリッツ好評。