2008年2月26日火曜日

自分の声・自分の作法

最近、ポータブルレコーダーEDIROL R-09を入手して面白がって、いろいろなものを録音してまわっている。
マイクを通していろいろな音が録れて、デジタルデータ化される。
携帯して録音しているので、そこに録られた音は少なくとも自分も一度聞いているはずの音なのだが、やっぱり意識して聞いていない音がたくさんあって、発見がある。今プレイバックしているのは、先週の“S”の打ち合わせ。食事しながらの打ち合わせで店にかかっているBGMが打ち合わせ時にはまったく聞こえていなかったことがわかる。BGMが意識の向こうにあったということがよくわかる。

そして、自分の声。話し声。
何度となく聞いているが、改めて思ったよりも声が基本低いなぁと思うところがあるのと、抑揚がついてしゃべっている時には逆に思ったよりも高い音域までしゃべっているのがわかる。普段話しをしているときも自分の声を聞きながら話をしていて、自分の口調を意識しているとは思う。そこで自分の話したい話し方を、選び取ってコントロールして話をしていると思う。だが、発音された向こう側でそのフレージングがどう響いているか、どう聞こえているかというのは、内発された意識、自分の耳が聞いているものとは別なものだなぁと思う。

継続してしばらくこの機材で面白がって録音しまくるだろうと思う。

2008年2月24日日曜日

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』読了。

久し振りに、しっかりと小説を読んだ。
ある一人のインド系アメリカ移民の子が一風変わった名前を名づけられる。そんな家族の話。それ以上のことは何も起こらない。にも関わらず、描写のひとつひとつにとても感じ入るものが溢れていて、最後まで惹きつけて止まない。とてもいい小説だった。

時間が多くの人のそれぞれに共感されたり、されなかったりする中で、この小説は時間を積み上げるように淡々と描写している。人物を描写しつづけるということは、一方でこの時間を描写しつづけるということでもある。そして、これがなんとも鮮烈で、胸を焦がして夢中になって頁を繰った。

ふとこれまでの自分のわずかな人生の時間を積み上げられたものとして眺めてみる。何かが起こったようで、実際のところ何かが起きていただろうか?過去を眺めていても、見えるのは淡々とした世界とそれに透かして見える自分の周辺のことだけで、何か気づくにはまだまだ多くの時間を要するのかもしれない。

2008年2月19日火曜日

同窓会賞

今週末は、
学部、修士課程と在籍していた大学の都市計画専攻同窓会主催の優秀卒業論文賞選考会に出席してきた。

本選考会、実際の卒論発表会時に先生方によって、採点され選ばれた数本の論文を同窓会選考会で再度発表してもらい、学術的に優秀と認められたものからさらに同窓会として、優秀だというものを一本選ぶというもの。
今年度より学部生の部だけでなく、修士の部もあり、内容的に充実したものだった。
このような大学の専攻同窓会が論文コンペをするというのは、他に例があまりないらしく、縦のつながりを大事にしようという学科全体の流れによるもの。かく言う自分も数年前にこの選考会にノミネートされ、いろいろな質疑の中で先輩たちのコメントから多くののことを学んだというか感じたものだった。それは社会人目線であり、先輩目線であり、学生時代に感じていたものとその後の社会で感じていることのミーティングポイントとして機能している。

発表する学生の姿や、懐かしい先生方のコメントから、自分のいた学科の校風のようなものをしっかり見せつけられ、確かに自分もここで習ったのだなぁと実感。うちの学科はプレゼンに力が入った学科で、いかに自分が訴えたい問題がそこにあるかということ、それを自分の提案でいかに解決するかというところに力点が置かれていたのだったと改めて実感。それは今でも重要なスタンスだと思っている。自分も初心忘れず頑張ろう。
終ってからの懇親会では、当時僕が設計課題でTAをしていた学生たちが大学院に進学していたりと懐かしいことこのうえない。