週末、最終日が迫っている東京オペラシティでの「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」展へ。
ヨーロッパを中心にスイスで活動している設計事務所ディーナー&ディーナーのプロジェクト展。かなり力の入っている冊子を見ながら、その通し番号がふられたプロジェクトの模型やコンペのプロジェクトブックを見るというもの。建築単体のプロジェクトからマスタープラン、新築からリノベーション、増改築まで幅広く、充実したその活動の物量に圧倒される。
どれも、かなり理性的なある種の正しさの元に設計、計画が立てられている印象が、とてもよかった。入り口で配られた冊子と展示の順番は必ずしもあっておらず、誰かの感想では宝探しのようだとプラスにとられていたが、ナビゲーションは正直わかりにくいものだった。
しかし、都市プロジェクトなどはもちろん、建築のプロジェクトの類は、絵画ではない。一目で「これはだめだな」と思うものは問題外だが、そう簡単に、それが何であるかなんて理解できない。
冊子で会場に展示されたプロジェクトを確認して、これはどんな計画なのか立ち止まってゆっくりと見る。冊子と、模型を何度も行き来しながら、展示品の周りをぐるぐる回る。このペースでないと展示内容は、ちょっと理解できないだろう。でないと、なんだかよくわからない内にそこを通り過ぎてしまう。
この展示は、何でも情報をわかりやすく、サービスとして出すことでは、逆に通り過ぎてしまうメッセージ、計画案を伝えようとしているように感じた。見る側は、しっかりと見てくれる、見たいと思う人が来てくれる。その人たちが自由にじっくりと鑑賞できるように、プログラムする。という、コンセプトなのではなかっただろうか。敷居が高いようでもあるが、理想も志も高い展示だったと思う。
2009年3月11日水曜日
西国街道を往く

今月の地方出張調査を行ってきた。
場所は姫路、岡山、福山の3都市。
いずれも城下町都市で、城が現存、復元されている。こうして立て続けに城下町を訪れ、例外なく、登城したりすると、やはり子供の頃から自分が城好きだったんだなぁという感慨が、当時のわくわくした感情の記憶の断片とともに込み上げてくる。もっというと、僕は城の建築そのものよりも、プランや石垣が好きだった気がする。城模型も城を建築物単体で見るよりもサイト、ジオラマとして捉えて制作していたような。
当時から今につながる何かがあるなぁ。なんて思ったり。
ついでに言うと、世界遺産にもなった、国宝姫路城のかっこよさはなんと言っても石垣のかっこよさにあるような気がした。傾斜が急で、高くそびえている。その基壇のリフトアップ効果がなんとも、プロポーションをよくみせているようだ。
月末にも地方調査が控えている。
2009年2月16日月曜日
九州へ

今月上旬。
調査で単身九州へ。長崎~熊本~鹿児島と1都市2日ずつの日程で、資料収集と現場調査。とにかく歩いて、現場を確認するように見て行く。対象と自分の視覚を中心にした感覚の間を幾度も幾度も行ったり来たりしながら、思考へフィードバックさせていく。調査の内容はいずれちゃんとした場面でしかるべきアウトプットをするとして、付随して見て回った建築についていくつか。
長崎は、初めて訪れたので、かなり基本的な建築物からざーっと見た。近作では、運河をまたいで、展示スペースが採られた隈研吾の長崎県美術館と栗生明の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がかなり印象に残った。後者は特にうまく言葉に出来ない部分もまだあり、どこかでちゃんと整理して言葉にして説明を試みたい。建築自体がどうも静かに建っているわりにどこか饒舌なようで、なんとも言えない。ただ、息をのむ美しい空間が展開していたのは間違いない(アップした写真は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)。
近代建築は旧長崎英国領事館が中まで入れなかったけどファサードはかなり良かった。
熊本は、前川國男の熊本県立美術館が良かった。熊本城址の斜面の高低差にうまく展示室を振って、中央の吹き抜けに階段と渡り廊下で出会わせる計画などばっちり。
篠原一男の熊本北警察署は公園に隣接していて前面道路の幅員と、建物前にとった駐車場の関係でかなりセットバックして立っており、町並み的には違和感があまりない印象。相変わらずの力強いヴォリューム感。
鹿児島は現場回りが大変で建築をちゃんと見てまわれなかった印象。ところどころで、片岡安の中央公民館や、曾根達蔵の憲政記念館などは外観見学はできたけれど。
熊本の夜にぶらっと寄った熊本現代美でアラーキー展がやっていてこれがかなりよかった。今回のテーマ、一般公募の母親とその赤ちゃんのヌードポートレイトで、荒木にしかできない仕事ぶり。いい写真がたくさん見れた。
2009年1月20日火曜日
寒風美函
今月前半は2つ展示に出かけた。
ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。
ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。
ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。
ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。
2008年12月16日火曜日
結局ジョアンは来なかった。
先週、待ち望んでいたジョアンジルベルトの来日公演は、中止となった。
これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。
これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。
2008年7月6日日曜日
2008年7月1日火曜日
見て回る見て学ぶ
午前中より、都内の富士塚を数ヶ所巡る。
7月1日は富士山の山開きの日。これにあわせて都内の富士塚でも山開きのお祭りが行なわれる。この日しか登れない、開かれていない塚もある。上野周辺、山手線北側辺りを3ヶ所回る。
下谷の小野照崎神社、十条の富士神社、駒込の富士神社。それぞれ、原形を止めているもの、移築、築造されたもの、塚の上に神社があるものとバリエーションがあり、興味深かった。
午後は、研究室の面々で小石川旧磯野邸を見学させていただく。明治後期から大正初期に建てられた別名「銅御殿」。緻密なディテールの連続に思わず息を呑む。見学の後、ご馳走を頂きながら、現在管理されているご主人から興味深いお話をたくさん聞かせていただく。今この場所が置かれているマンション紛争の情況など、考えなくてはいけない点がたくさんある。
詳しくは下記URL参照。
http://www.geocities.jp/akaganegoten/index.htm
7月1日は富士山の山開きの日。これにあわせて都内の富士塚でも山開きのお祭りが行なわれる。この日しか登れない、開かれていない塚もある。上野周辺、山手線北側辺りを3ヶ所回る。
下谷の小野照崎神社、十条の富士神社、駒込の富士神社。それぞれ、原形を止めているもの、移築、築造されたもの、塚の上に神社があるものとバリエーションがあり、興味深かった。
午後は、研究室の面々で小石川旧磯野邸を見学させていただく。明治後期から大正初期に建てられた別名「銅御殿」。緻密なディテールの連続に思わず息を呑む。見学の後、ご馳走を頂きながら、現在管理されているご主人から興味深いお話をたくさん聞かせていただく。今この場所が置かれているマンション紛争の情況など、考えなくてはいけない点がたくさんある。
詳しくは下記URL参照。
http://www.geocities.jp/akaganegoten/index.htm
2008年6月19日木曜日
2008年6月16日月曜日
一人乗りの乗り物に乗って
シャネルのモバイルアートを体験しに代々木公園へ行く。
ザハ・ハディドが設計し、世界を巡回している移動型パビリオンでの展示。着くとなかなかがっしりとした数のスタッフに案内されて中へ入る。ここでも数人のスタッフの人に順々に対応してもらい、ヘッドフォンとプレイヤーを首にかけてもらい説明を受ける。鑑賞者は、一列に椅子に座って並び、一人ずつ、音楽とともに聞こえた指示に従って、館内を巡り、数々の作品を見て回る。ヘッドフォンをつけて、一人ずつ見て回る、それはまるでサファリパークのような感覚だった。
指示通りに動くというのは、鑑賞者がそのタイムラインに従い、ルール的にはそこで不可逆な観賞を強いられる。もうちょっと見たいなとか、もう次に行きたいなというのは通用しない。一人乗りのゴンドラにでも乗せられている感じ。この一人乗りというところがポイント。順々にスタッフに準備してもらうので、絶対同じ時間でプレイスタートされない。そのため、ルールを乱して観賞する人がいなければ、自分よりも前の人はずっと一つ前の交わらない時間の中にいて、自分よりも後ろの人が自分よりも先に次の作品を鑑賞することもない。だから、前の人を見ていると、そろそろ自分もこの作品を鑑賞する時間が終わるとかわかる。そして、耳に入る指示に従って、自分も次の作品に移動を始める。この観賞タイミングの予測可能性は、ある種、空間として隣人の鑑賞者と同時性や、空間の一体感を得るかと思いきや、全くの孤独感を僕に与えた。どこまでも言っても一人で作品と対峙している感じ。個人的に耳から僕の観賞態度はmp3プレイヤーに支配され、同じような動きをしている周囲の人間と自分が同じ場面(フェイズ)にいるなんて全く思えない。同じ時間、同じ空間に居合わせた他者は自分と同じ作品を鑑賞していても、常に視点も文脈も違う中で作品を見ていることはない。美術館というか作品に向かう各人の態度や感情として、当たり前なのだけど、僕はm3プレイヤーに支配され、モバイルアート内で他者と繋がれない孤独感を味わい、作品と向き合った。
こう思わせたのは、束芋の虫をモチーフにした映像作品だった。ちょうどこの映像作品を見始めたとき、虫の羽根、蝶や蜻蛉の羽根がひらひら舞い落ちるシーンだった。それが、だんだんと虫たちのシルエットと動きが見えて、また羽根が落ち、虫が消え、というような流れを持って、見た。それはたまたまそういうタイミングだった。個人の時間に対して、作品のループし続けて、回転してながら静止している時間と、僕はそのように出会い、映像作品にそうした文脈を見たのだ。そういうタイミングだったのだ。しかし、数分後にやってきた次の人は決して自分と同じ文脈では見れない。羽根がひらひら舞い落ちるシーンは終わっていて、次のシーンだったからだ。
そして、僕は後ろの人がどのシーンでその場所を離れるかわからない。僕は必ず先に、その場を離れるからだ。このとき、「あぁ、僕は一人なのだ。一人でここに立っている。」と思った。
ザハ・ハディドが設計し、世界を巡回している移動型パビリオンでの展示。着くとなかなかがっしりとした数のスタッフに案内されて中へ入る。ここでも数人のスタッフの人に順々に対応してもらい、ヘッドフォンとプレイヤーを首にかけてもらい説明を受ける。鑑賞者は、一列に椅子に座って並び、一人ずつ、音楽とともに聞こえた指示に従って、館内を巡り、数々の作品を見て回る。ヘッドフォンをつけて、一人ずつ見て回る、それはまるでサファリパークのような感覚だった。
指示通りに動くというのは、鑑賞者がそのタイムラインに従い、ルール的にはそこで不可逆な観賞を強いられる。もうちょっと見たいなとか、もう次に行きたいなというのは通用しない。一人乗りのゴンドラにでも乗せられている感じ。この一人乗りというところがポイント。順々にスタッフに準備してもらうので、絶対同じ時間でプレイスタートされない。そのため、ルールを乱して観賞する人がいなければ、自分よりも前の人はずっと一つ前の交わらない時間の中にいて、自分よりも後ろの人が自分よりも先に次の作品を鑑賞することもない。だから、前の人を見ていると、そろそろ自分もこの作品を鑑賞する時間が終わるとかわかる。そして、耳に入る指示に従って、自分も次の作品に移動を始める。この観賞タイミングの予測可能性は、ある種、空間として隣人の鑑賞者と同時性や、空間の一体感を得るかと思いきや、全くの孤独感を僕に与えた。どこまでも言っても一人で作品と対峙している感じ。個人的に耳から僕の観賞態度はmp3プレイヤーに支配され、同じような動きをしている周囲の人間と自分が同じ場面(フェイズ)にいるなんて全く思えない。同じ時間、同じ空間に居合わせた他者は自分と同じ作品を鑑賞していても、常に視点も文脈も違う中で作品を見ていることはない。美術館というか作品に向かう各人の態度や感情として、当たり前なのだけど、僕はm3プレイヤーに支配され、モバイルアート内で他者と繋がれない孤独感を味わい、作品と向き合った。
こう思わせたのは、束芋の虫をモチーフにした映像作品だった。ちょうどこの映像作品を見始めたとき、虫の羽根、蝶や蜻蛉の羽根がひらひら舞い落ちるシーンだった。それが、だんだんと虫たちのシルエットと動きが見えて、また羽根が落ち、虫が消え、というような流れを持って、見た。それはたまたまそういうタイミングだった。個人の時間に対して、作品のループし続けて、回転してながら静止している時間と、僕はそのように出会い、映像作品にそうした文脈を見たのだ。そういうタイミングだったのだ。しかし、数分後にやってきた次の人は決して自分と同じ文脈では見れない。羽根がひらひら舞い落ちるシーンは終わっていて、次のシーンだったからだ。
そして、僕は後ろの人がどのシーンでその場所を離れるかわからない。僕は必ず先に、その場を離れるからだ。このとき、「あぁ、僕は一人なのだ。一人でここに立っている。」と思った。
2008年6月3日火曜日
思い出し日記:バンコクを肴に飲む

先月のバンコクでのこと、続編。
今回の旅は、ホテル周辺、レストランやバーを見てまわる旅で、毎晩はしごに次ぐはしごという感じ。連れの希望で、ここ最近世界的に流行っているルーフトップバーを巡ったり、ホテルのレストランチェックしてまわった。
バンコクのルーフトップバーは数年前にできたもので、かなり先駆的事例らしく、興味深かった。
一 軒目、ステイトタワーのTHE DOME(写真上)。地上64階のルーフトップバー。それより高層に客室部があり、それが壁のようになっているものの、200m近い上空からの夜景は最高。風もほと んどなく、東京の夕方から夜にかけての海から吹く浜風を想像していた自分としては非常に快適。
65階からアプローチして64階のテラスに降りる空間構成も、夜景をしっかり楽しんでから、席につけるので非常に楽しい。席間隔もゆったりしていて、スタッフの接客もよかったと思う。
翌日二軒目、バンヤンツリーホテルのvertigo(眩暈という意味、写真下)。完全にルーフトップ。遮る物一切無し。360度大パノラマ。こちらは、ホテルが建った後に計画されたバーらしく、屋上階に出るアプローチの階段が狭く、通路もホテルの屋上サービスルーム(空調室やエレベータールーム等)の上にあるらしく、スキップフロアのようになっている。そこが面白いといえば面白い。週末の夜22時あたりに行ったということもあって、大変盛況。けっこう人でひしめいていて、日本じゃ消防法上とか絶対無理だろう人数が飲んでいる(そもそも腰ぐらいまでしかないアクリルの囲いがあるだけで、日本での実現は難しいと思うが)。ぼくらが通された席は、まさにその囲いにくっついた席で、ちょっと身を乗り出すと、膝が震える感じ。風が気持ちよく、照明はかなり控えめ(オーダーのときは、マグライトを貸してくれる)。バンコクの夜景をしっかり楽しめる。ただ、バー自体は後付で、僕らの通された席は、下の階のレストランの排気ダクトがそばにあって、食べていない北京ダックの香りが常にそこにはあった。
三軒目は、バイヨークスカイホテル。
最終日の夜出国間際だったので、タイ国内最高の展望室から夜景を眺めてくるだけで、バーでお酒を飲む時間はなかった。ホテルのランク的にも前述2軒に比べて下がる感じで、完全に観光スポット。ツアーの客もたくさんいて、ホテル施設は超充実。4階あたりのレセプションカウンターの前にはコンビニ完備で、室内ゴルフ練習場なんかもあったりするメガホテル。初海外の大人の人や家族連れにはいいかもしれないけど、出国直前、はしご数軒後のぎりぎりの時間ではちょっと全体的にここで何かを楽しむ余裕はなかった。
総じて、地上200m超のオープンエアのルーフトップバー、聞きしに勝る感あり。風の強さや、温かい土地柄など、実現可能な為の条件がいくつかありそうだけど、体験するとしないでは大違い。(台風のときとかどうしているのかしら?とは思ったが、テーブルは打ち付けてあった。)後付でつくったvertigoは、その普請感から、砦っぽさというか、探検の先にある楽園感があって面白かったし、The Domeは、ラグジュアリーで空間から夜景の演出まで手がしっかり入ってとてもよかった。どちらも21世紀型バベルの塔でした。別に壊れろという意味ではなくて、人の欲望がここまで実現できるようになったという感動。
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