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2010年1月18日月曜日

ついったーと神楽坂

ツイッターなるものを興味本位ではじめてみました。
先月ぐらいからですが、
また、これまでのSNSやブログと異なるおもしろさがあり、興味津々です。

http://twitter.com/1080fellowships

1ヶ月ほどやって、少しどれくらいの感覚でフォローしてよいか、見定めていたのですが、僕の今使っているiPhoneのアプリ、一度にEchofonが200程度しかつぶやきをアップしないので、よっぽどでない限り2時間前のつぶやきはフォローしない感じでスルーできるところがなかなか自分にはちょうどいいです。

ブログも今まで通りやっていきます。

あと、最近これだけ神楽坂に入り込んでいて、やっと、というか「拝啓、父上様」を追いかけて見ています。物理的地理関係のゆがみがあり、それ(全くめちゃくちゃではないところ)が逆にファンタジックで面白いです。二宮君はやっぱりいいなぁ。あんな男の子実際にはどこにもいないと思うんだけどそこが、芝居的で凄くいいと思う。

2009年10月20日火曜日

劇的な3時間

なんか思いつきで、翌日午前中の仕事が空いたので、
終電で後輩KとKとうちまで来て、車に乗って星を見に山梨まで出かける。
盆地の夜景は、想像以上に良くって、地形がそうさせているよりは、
普通の光が、これだけ集まって瞬いているのが素朴に良かった。
車中、一晩中いろいろな話したり、流れ星ぼーっと見て、
明け方、ほったらかし温泉へ。

暗がりの中、ほんのりと空が明けてくるのただただ、湯の中で待つ。
湯に浸かってのご来光。初体験。というか、久しぶりの日の出を待つ体験。

よくパンチラインで夜明け前が最も暗いというが、
今日は明けた朝の明るさの劇的な変化がそう呼ばせているような気がした。
数時間前、太良ケ峠で凍えて流れ星眺めていたのが嘘のような展開。


2009年10月6日火曜日

海を手に入れる

助教の方が出張でお土産に雲丹の塩漬けを地元の方からたくさんもらってお裾分けしてもらった。
あれ?出張で行った村は確か内陸だったはず。。。?と思っていたら、平成の市町村大合併でできた町には、海に隣接した町もあって、この村だったところは、特産品に海産物もできたとのこと。

なんじゃそら。

と、思ってみたが、そもそも大概のお土産や特産品は、自分がつくったものでもないし、他人がつくったものなわけで、それを自分にとっての自慢にできるような(自慢じゃなくてもいいけど)関係性を持てるかが大事なんだなとおもった。認識できて、無理なく繋がれる、見えないネットワークでも、アイデンティティを形成することはできるのかもしれない。

雲丹の塩漬け、とても美味い。

2009年3月17日火曜日

展示によって伝えるということも仕掛けていた

週末、最終日が迫っている東京オペラシティでの「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」展へ。

ヨーロッパを中心にスイスで活動している設計事務所ディーナー&ディーナーのプロジェクト展。かなり力の入っている冊子を見ながら、その通し番号がふられたプロジェクトの模型やコンペのプロジェクトブックを見るというもの。建築単体のプロジェクトからマスタープラン、新築からリノベーション、増改築まで幅広く、充実したその活動の物量に圧倒される。
どれも、かなり理性的なある種の正しさの元に設計、計画が立てられている印象が、とてもよかった。入り口で配られた冊子と展示の順番は必ずしもあっておらず、誰かの感想では宝探しのようだとプラスにとられていたが、ナビゲーションは正直わかりにくいものだった。

しかし、都市プロジェクトなどはもちろん、建築のプロジェクトの類は、絵画ではない。一目で「これはだめだな」と思うものは問題外だが、そう簡単に、それが何であるかなんて理解できない。
冊子で会場に展示されたプロジェクトを確認して、これはどんな計画なのか立ち止まってゆっくりと見る。冊子と、模型を何度も行き来しながら、展示品の周りをぐるぐる回る。このペースでないと展示内容は、ちょっと理解できないだろう。でないと、なんだかよくわからない内にそこを通り過ぎてしまう。
この展示は、何でも情報をわかりやすく、サービスとして出すことでは、逆に通り過ぎてしまうメッセージ、計画案を伝えようとしているように感じた。見る側は、しっかりと見てくれる、見たいと思う人が来てくれる。その人たちが自由にじっくりと鑑賞できるように、プログラムする。という、コンセプトなのではなかっただろうか。敷居が高いようでもあるが、理想も志も高い展示だったと思う。

2009年3月11日水曜日

西国街道を往く


今月の地方出張調査を行ってきた。

場所は姫路、岡山、福山の3都市。
いずれも城下町都市で、城が現存、復元されている。こうして立て続けに城下町を訪れ、例外なく、登城したりすると、やはり子供の頃から自分が城好きだったんだなぁという感慨が、当時のわくわくした感情の記憶の断片とともに込み上げてくる。もっというと、僕は城の建築そのものよりも、プランや石垣が好きだった気がする。城模型も城を建築物単体で見るよりもサイト、ジオラマとして捉えて制作していたような。
当時から今につながる何かがあるなぁ。なんて思ったり。
ついでに言うと、世界遺産にもなった、国宝姫路城のかっこよさはなんと言っても石垣のかっこよさにあるような気がした。傾斜が急で、高くそびえている。その基壇のリフトアップ効果がなんとも、プロポーションをよくみせているようだ。

月末にも地方調査が控えている。

2009年2月16日月曜日

九州へ



今月上旬。

調査で単身九州へ。長崎~熊本~鹿児島と1都市2日ずつの日程で、資料収集と現場調査。とにかく歩いて、現場を確認するように見て行く。対象と自分の視覚を中心にした感覚の間を幾度も幾度も行ったり来たりしながら、思考へフィードバックさせていく。調査の内容はいずれちゃんとした場面でしかるべきアウトプットをするとして、付随して見て回った建築についていくつか。
長崎は、初めて訪れたので、かなり基本的な建築物からざーっと見た。近作では、運河をまたいで、展示スペースが採られた隈研吾の長崎県美術館と栗生明の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がかなり印象に残った。後者は特にうまく言葉に出来ない部分もまだあり、どこかでちゃんと整理して言葉にして説明を試みたい。建築自体がどうも静かに建っているわりにどこか饒舌なようで、なんとも言えない。ただ、息をのむ美しい空間が展開していたのは間違いない(アップした写真は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)。
近代建築は旧長崎英国領事館が中まで入れなかったけどファサードはかなり良かった。
熊本は、前川國男の熊本県立美術館が良かった。熊本城址の斜面の高低差にうまく展示室を振って、中央の吹き抜けに階段と渡り廊下で出会わせる計画などばっちり。
篠原一男の熊本北警察署は公園に隣接していて前面道路の幅員と、建物前にとった駐車場の関係でかなりセットバックして立っており、町並み的には違和感があまりない印象。相変わらずの力強いヴォリューム感。
鹿児島は現場回りが大変で建築をちゃんと見てまわれなかった印象。ところどころで、片岡安の中央公民館や、曾根達蔵の憲政記念館などは外観見学はできたけれど。

熊本の夜にぶらっと寄った熊本現代美でアラーキー展がやっていてこれがかなりよかった。今回のテーマ、一般公募の母親とその赤ちゃんのヌードポートレイトで、荒木にしかできない仕事ぶり。いい写真がたくさん見れた。

2009年1月29日木曜日

その都市のその場所のその時間

先日、移動中に地下鉄の構内のフリーマガジンのラックから一冊のフリーマガジンを手に取った。東京の地下鉄は、これでもかというぐらいの多種多様な情報小冊子で溢れているが、その雑誌もその一つ。どこかの不動産屋と広告屋が出していたものだったと思う。
今手元にもはやないので、そのマガジンのタイトルも憶えていない(ビラのことをフライヤーとはよく言ったものだ)。記憶を辿ると、「銀座なんとか」だったと思う。そう、銀座に特化したフリーマガジンだった。エディトリアルはいたって普通なのだが、銀座のいろいろな店にいろいろなシチュエーションで出かけていった人を想定したような感じで、○時の××のお店にいったビジネスマンといった形でお店を紹介する。最初が朝7時のヨガスタジオと、論語素読の喫茶店だったので、少し、「おっ」と思ってなかを見る。テーラー氏のインタヴューがあり、好きな銀座の時間はまだ誰もお客の来ていない朝、街が動き出す前の中央通りが好きだと言っていた。その雑誌はある種の広告媒体であるから、都市の中の時間を語る舞台となる空間はもちろんどこかの店なのはしょうがないが、都市の中のある場所には、常に附随する印象が空間を祝福する時間がある。毎日やってくる24時間1440分の内、その時間、瞬間にならないとその空間は場所の扉を開かない。テーラー氏の銀座の中央通りの扉はまだ薄暗い直線がほんのり青にそまった静かの朝にそっと開くのだ。そう思うと、僕らは普段の大好きな都市のある場所にあっても、知らないまだ開かれていない扉がたくさんあるような気がしてならない。

2008年12月16日火曜日

結局ジョアンは来なかった。

先週、待ち望んでいたジョアンジルベルトの来日公演は、中止となった。

これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。

2008年7月1日火曜日

見て回る見て学ぶ

午前中より、都内の富士塚を数ヶ所巡る。
7月1日は富士山の山開きの日。これにあわせて都内の富士塚でも山開きのお祭りが行なわれる。この日しか登れない、開かれていない塚もある。上野周辺、山手線北側辺りを3ヶ所回る。
下谷の小野照崎神社、十条の富士神社、駒込の富士神社。それぞれ、原形を止めているもの、移築、築造されたもの、塚の上に神社があるものとバリエーションがあり、興味深かった。

午後は、研究室の面々で小石川旧磯野邸を見学させていただく。明治後期から大正初期に建てられた別名「銅御殿」。緻密なディテールの連続に思わず息を呑む。見学の後、ご馳走を頂きながら、現在管理されているご主人から興味深いお話をたくさん聞かせていただく。今この場所が置かれているマンション紛争の情況など、考えなくてはいけない点がたくさんある。
詳しくは下記URL参照。
http://www.geocities.jp/akaganegoten/index.htm

2008年6月19日木曜日

そこに生きる

神田で講演会を聞きに行く。

講演者はずっと以前から会いたかった若手研究者の方。予想通りとても面白かった。自分の興味、知りたいことをどこまでも突き抜けていくというエネルギーを感じた。人柄は落ち着いているのだけど、言葉のパワーというか、知識自体に何かエネルギーを感じるというか。非常に刺激になった。
被災者がそこに生きながら、復興し続けるという言葉が印象に残った。

終わって、昨日の勉強会出席メンバーで餃子とビールで軽く打ち上げる。

2008年6月18日水曜日

目に見えないものと見えるもの

昨年の新宿での作業成果を持って、地元のまちづくりNPOの勉強会で話をする。

大枠のフレームから話しすぎたせいか、エモーション的に伝わらなかったかな?と思うところもあったが、概ね、良好な反応。次の一手をここからどうしていくか、さらに熟考と決断して行なっていく勇気が必要。
意識の高い人たちとの対話、議論はひとつひとつが勉強になる。
景観の議論とまちづくりの議論の接点をどうもたせるかが一番の課題。
つまりは表題、目に見えないものと見えるものの接点だ。

2008年6月13日金曜日

レクチャーをした

学部生の演習で自分の研究に関する分野で簡単なレクチャーをする機会を頂いた。
ごくごく少数の演習だったのだけど、普段の研究から戦災復興にまつわる都市計画史の概論、そこで扱われているトピックの視点の提示などをする。15分程度の説明ということだったが、結局30分以上しゃべってしまっていた。
まだまだ人前で自分のしたことを発表するということではなく、教えるという在り方をあまり経験していないので戸惑いもあった。前日からこれまでの自分のメモを整理して、資料を作成して、当日話す流れを確認。
研究発表のとき以上に自分のストーリーをそこで再生するよりも、その場の反応を見ながら、状況見つつ話を展開させるようにする。といってもあまりちゃんとはできなかったかな。
こういうレクチャーの経験は、言霊的というか、繰り返し繰り返し同じ話をしていくことで、自分が鍛え上げられていくという感じがした。話終わった後で自分の頭が軽くすっきりした感じを味わう。さらに話終わって、質問が出たところで自分的には新たな発見もたくさんあり、受講者以上にこちらにとってゲインがあったんじゃないかという感想。謝々。
貴重な体験でした。

2008年6月3日火曜日

思い出し日記:バンコクを肴に飲む


先月のバンコクでのこと、続編。

今回の旅は、ホテル周辺、レストランやバーを見てまわる旅で、毎晩はしごに次ぐはしごという感じ。連れの希望で、ここ最近世界的に流行っているルーフトップバーを巡ったり、ホテルのレストランチェックしてまわった。
バンコクのルーフトップバーは数年前にできたもので、かなり先駆的事例らしく、興味深かった。

一 軒目、ステイトタワーのTHE DOME(写真上)。地上64階のルーフトップバー。それより高層に客室部があり、それが壁のようになっているものの、200m近い上空からの夜景は最高。風もほと んどなく、東京の夕方から夜にかけての海から吹く浜風を想像していた自分としては非常に快適。
65階からアプローチして64階のテラスに降りる空間構成も、夜景をしっかり楽しんでから、席につけるので非常に楽しい。席間隔もゆったりしていて、スタッフの接客もよかったと思う。

翌日二軒目、バンヤンツリーホテルのvertigo(眩暈という意味、写真下)。完全にルーフトップ。遮る物一切無し。360度大パノラマ。こちらは、ホテルが建った後に計画されたバーらしく、屋上階に出るアプローチの階段が狭く、通路もホテルの屋上サービスルーム(空調室やエレベータールーム等)の上にあるらしく、スキップフロアのようになっている。そこが面白いといえば面白い。週末の夜22時あたりに行ったということもあって、大変盛況。けっこう人でひしめいていて、日本じゃ消防法上とか絶対無理だろう人数が飲んでいる(そもそも腰ぐらいまでしかないアクリルの囲いがあるだけで、日本での実現は難しいと思うが)。ぼくらが通された席は、まさにその囲いにくっついた席で、ちょっと身を乗り出すと、膝が震える感じ。風が気持ちよく、照明はかなり控えめ(オーダーのときは、マグライトを貸してくれる)。バンコクの夜景をしっかり楽しめる。ただ、バー自体は後付で、僕らの通された席は、下の階のレストランの排気ダクトがそばにあって、食べていない北京ダックの香りが常にそこにはあった。

三軒目は、バイヨークスカイホテル。
最終日の夜出国間際だったので、タイ国内最高の展望室から夜景を眺めてくるだけで、バーでお酒を飲む時間はなかった。ホテルのランク的にも前述2軒に比べて下がる感じで、完全に観光スポット。ツアーの客もたくさんいて、ホテル施設は超充実。4階あたりのレセプションカウンターの前にはコンビニ完備で、室内ゴルフ練習場なんかもあったりするメガホテル。初海外の大人の人や家族連れにはいいかもしれないけど、出国直前、はしご数軒後のぎりぎりの時間ではちょっと全体的にここで何かを楽しむ余裕はなかった。

総じて、地上200m超のオープンエアのルーフトップバー、聞きしに勝る感あり。風の強さや、温かい土地柄など、実現可能な為の条件がいくつかありそうだけど、体験するとしないでは大違い。(台風のときとかどうしているのかしら?とは思ったが、テーブルは打ち付けてあった。)後付でつくったvertigoは、その普請感から、砦っぽさというか、探検の先にある楽園感があって面白かったし、The Domeは、ラグジュアリーで空間から夜景の演出まで手がしっかり入ってとてもよかった。どちらも21世紀型バベルの塔でした。別に壊れろという意味ではなくて、人の欲望がここまで実現できるようになったという感動。

2008年5月26日月曜日

大盛りを茹でる

週末、社会人大学院の演習の最終講義を見学に行く。

受講生は皆さん、都市計画のプロばかりが、僕らがやった課題と同じ対象地で演習を行う。演習の内容はその地区の景観を読み解き、提案をするというもの。
いずれも、その課題から制度設計やプログラムを組み所まで提案していて、さすがプロという感じ。どういう組織をつくるか、それでどのように景観向上を目指すかという議論。非常に勉強になった。一方で、その対象地の景観がどうなっているか、良い景観とは何か?といった空間論的視点の話があまり聞かれず、彼らがどういう風に実地を感じたのかがあまり聞かれず、やや残念。一緒に発表会しあって議論をしたら面白いと思った。
同じ課題であってもやる人が変わればこれだけアウトプットが如実に変わるというところが興味深い。


今晩は家に一人だったので、久し振りにパスタでも茹でようかという気分になり、つくば時代に愛用していた皿を引っ張り出す。この皿、非常にお世話になっていた益子のギャラリー「もえぎ」http://mshop.cool.ne.jp/で買ったもの、白い釉薬がかかった大振りの粉引き。
改めて。この皿を眺めてみて、でかい。実に僕の食い意地の悪さが形に表れている。なんて言うと皿に悪いが、「ちょっとでかいでしょ、これ」というサイズ。まぁ、一人用ではない、大皿盛りパスタ皿なのだから、しょうがない。これに2~3人前は盛って、お一人様で食べる。イメージとしては、紅の豚のピッコロ社でのまかないパスタのイメージ。ちょっとこんもりするサイズ。皿の縁が高さ2cm程度、まわっているところが気に入っている。これで、山盛りにパスタを盛ってもソースがこぼれない。食べ終わった後のちょっとした後悔がいつも苦し気持ちよい。今日は久し振りだったが比較的うまく茹でれた。

2008年5月21日水曜日

「思い出」のやりとり

今日は、今年度に始まった自主プロジェクトの打ち合わせ。景観を体験として共有するというようなことがテーマ。

3人でアイディアを出しながら議論をしていく感じなので、モノが生まれてくるような面白さがある。久し振りにいい議論ができていると思う。

今日の議論の断片をいくつか。
・「思い出」は相続できない
・長期的時間の中に「思い出」が生まれ、短期的時間の中に「経験・体験」が生じる
・ジェスチャーとしての空間認知のあり方
・「思い出」と「歴史」の関係

体験というキーワードから始まり、時間の中でそれがどう行われるか、考えているときに僕が普段音楽やっている中で考えている「時間をどう捉えるか」というテーマに一気に近接していき、個人的には盛り上がった。

以前、ドラムソロやフリーインプロの方法論として、ごくごく個人的であるという自由さについて考えていたことがあって、その時のテーマも「思い出」だった。個人の領域としての「思い出」の再現とコラージュによって、たしか楽曲の形を作ろうとしていたのだと思う。それが実際どれくらい成功していたかはもう思い出したくもないけれど。フリーインプロみたいなことをやりはじめたときに、頭の中がちがちにして、自由であるということと、自分にしかできないことみたいな牙城に篭りきるために、「思い出」から始めようという、もう前衛なんだか、保守なんだか。頭の硬いをことを考えていたこともあったなぁと。
思う。ただ、今でも思うことは、個人の不可侵な領域としての「思い出」と個人の「ボキャブラリー」というのはすごく近接していて、とても大事な問題だろうということだ。それありきで、会話が成立しているわけで、これから脱却することはできない。場面に応じて、「思い出」の再統合をして、表出させているのだろうと思う。ひらめきだけで、100m走り切れることってそうそうないことだろう。
で、もう一方で実は忘れるっていうこともすごい大事だと思っているが、それはまた今度(「思い出」の話ももっとちゃんと整理して書きたい)。

2008年5月20日火曜日

思い出し日記:バンコクの街角、エラワンシュライン

先週のバンコクの話。

バンコクの中心部は、BTSというスカイトレインが走っていて、これがずっと上を走っている大通りをスクンビット通り(確か西側は名前が変わったと思う)という。バンコクは以前から、朝夕の渋滞が激しく、まさに待望のスカイトレインであった。スカイトレインが開通したのは、僕がはじめてバンコクに来た時よりも前であったから、それ以前のスクンビット通りを僕は知らない。多くの車、バイク、トゥクトゥクで、前になかなか進めず、クラクションけたたましい、そんな光景だったのだろうと思う。しかし、想像するに想像しているそれは、今の光景と大して変わらない。

この大通り、中心部に相応しく、サイアムという商業、業務の中心地を貫通する重要な通りで、周囲の建物はデパート、ホテルや銀行が立ち並んでいる。上部に高架がある感じからして、今の東京の六本木っぽい雰囲気とも言えるが、位置づけ的には銀座や丸の内という感じか。

このスクンビット通り沿い、2本のBTSがクロスする大きな交差点がある。それが、この写真。エラワンシュラインという、仏教の祈祷スペースというかオープンエアの寺(お坊さんがいないところを見ると、仏教モニュメント的体裁)である。
大きく街区の隅を切られた交差点の向かいに視線を向けると、僕らのよく知るルイヴィトンがデパートの角に鎮座している。ここは商業の中心地であり、と同時に宗教モニュメントも存在しているのだ。エラワンシュラインのあるこちら側は、人々が集う祈りの空間(ルイヴィトンも資本主義に祈りを捧げている人々が集まっていると思うが)になっている。そして、線香の煙はビルの照明を霞ませ、高架鉄道は上空を疾走する景色が展開している。
元来、東京と共通のアジア的な何かを内在させた都市として、僕はバンコクを意識している。違うことは知っている。でも、何か東京の延長上で出かけていける街なのだ。今回も、暑いは暑いけれど、東京で何か新しい発見をするようにバンコクを歩いていた僕はいきなりガツンとパンチをもらうことになった。

バンコクにパンチ食らった僕は線香の煙と、熱帯の熱の中に佇む。人々は花輪を祭壇にかけて、祈る。後方では、木琴と銅鑼、鐘が鳴り、歌と踊りが披露される。そこでも祈る人、それを裁く人、踊り、奏でる人。祈り終わった人、これから祈る人。祈る人に何かを売ろうとする人。僕と同じでそれを眺めているだけの人。
ヴィトンのウィンドウのガラスパタンのモアレに目が眩むより先に、線香の煙が、涙目の都市景観を僕に拝ませ、背中を汗が滴り落ちる。

2008年3月31日月曜日

年度末

今日で、今年度が終わり、明日にはまた新年度になる。

ここ2年間、研究室でお世話になっていた自治体の担当の方々が、みな異動となり、担当課を離れられることになった。課長、主任、担当の方とみな、個性が強くて、バランスもとれていて、若輩者の生意気な感想だけれど、非常にいいチームだった。まるで、映画のキャストのようなチームだった。あの方々の並々ならない努力で仕事がまわっていると強く感じた。

行政は数年で部署の異動をしなくてはならない。このことの弊害や恩恵について、今ここで述べることはしないけれど、担当の方の「まだ遣り残したことがたくさんある」という言葉の残念そうなことと言ったらない。ここでいろいろ関わらせていただいた僕らはまだ今もここにいる。彼らの仕事をつなぐこと、前任者から新任者につなぐこと、これはまったく僕らの仕事ではないが、今もここで、その都市と向き合っている僕らがいて、その都市は今日もそこにあり、そこで生活している人たちもいる以上、何も終わっていないのだと思う。その部署の面々は変わっていくが、また次の仕事もあるわけで。
僕らもまだまだ終われることのない、現場を見つめているのだと思う。
短い2年間ですが、お疲れ様でした。

2008年3月10日月曜日

焼野原と塔

今日は日中あちこち役所をまわって資料集めをしていた。
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。

ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。

63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?

2008年2月19日火曜日

同窓会賞

今週末は、
学部、修士課程と在籍していた大学の都市計画専攻同窓会主催の優秀卒業論文賞選考会に出席してきた。

本選考会、実際の卒論発表会時に先生方によって、採点され選ばれた数本の論文を同窓会選考会で再度発表してもらい、学術的に優秀と認められたものからさらに同窓会として、優秀だというものを一本選ぶというもの。
今年度より学部生の部だけでなく、修士の部もあり、内容的に充実したものだった。
このような大学の専攻同窓会が論文コンペをするというのは、他に例があまりないらしく、縦のつながりを大事にしようという学科全体の流れによるもの。かく言う自分も数年前にこの選考会にノミネートされ、いろいろな質疑の中で先輩たちのコメントから多くののことを学んだというか感じたものだった。それは社会人目線であり、先輩目線であり、学生時代に感じていたものとその後の社会で感じていることのミーティングポイントとして機能している。

発表する学生の姿や、懐かしい先生方のコメントから、自分のいた学科の校風のようなものをしっかり見せつけられ、確かに自分もここで習ったのだなぁと実感。うちの学科はプレゼンに力が入った学科で、いかに自分が訴えたい問題がそこにあるかということ、それを自分の提案でいかに解決するかというところに力点が置かれていたのだったと改めて実感。それは今でも重要なスタンスだと思っている。自分も初心忘れず頑張ろう。
終ってからの懇親会では、当時僕が設計課題でTAをしていた学生たちが大学院に進学していたりと懐かしいことこのうえない。

2008年1月15日火曜日

中央フリーウェイ

ユーミンこと荒井由実(現:松任谷由実)の名曲、「中央フリーウェイ」ですが、今日たまたま東京のインフラについて調べていたら、中央自動車道の開設と中央フリーウェイのリリースはどれぐらい時間差があるのだろうと思い、ちょっとネットサーフィンした結果。

昭和37(1957)年国土開発縦貫自動車道建設法にて、中央自動車道の策定がはじめて言われる
昭和42(1967)年12月15日調布IC〜八王子IC供用開始
(途中略)八王子以西では、徐々に供用開始
昭和51(1976)年5月18日:高井戸IC〜調布IC供用開始、首都高と接続

昭和51(1976)年9月~10月荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」レコーディング
昭和51(1976)年11月20日荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」リリース

昭和57(1982)年11月10日中央自動車道全線開通


注目は調布IC以西が先に開通して、起点の高井戸IC~調布ICの開通が遅れた点と、その区間が首都高に接続した年にちょうど都心から出かけるようにして、ユーミンが中央フリーウェイをリリースした点。
しかも、中央フリーウェイの歌詞にでてくる、中央自動車道沿いの風景の多くは、調布ICの先、府中近辺までで、さらにそれよりも西の八王子近辺は出てこない。「中央フリーウェイ」は中央自動車道と首都高速の接続記念的ソングとも言える。時代はモータリゼーションによる手軽な郊外レジャーの活発化した時期であった。この高速道路開通期につくられたこの歌は、単なる流行のドライブソングというだけではなく、いつでも簡単に都心を脱出して味わえるサバーバン賛歌でもある。