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2009年10月4日日曜日

あぐれっしぶうぇでぃんぐ

友達の結婚パーティーに出る。
馴染みの仲間や友達たちがたくさん揃う楽しいパーティーだった。僕も久しぶりの面子でピアノトリオでジャズミュージックを添えた。久しぶりだったので、前々日にリハなんかもしたりした。

パーティーは勿論すごい良かったんだけども、久々のどジャズな感じ。たくさんの感情のひだに触れるあの感じ。

懐しさが込み上げてきて、まるで時間が止まっているような、止まっていた時間が再び動き出してきたような。人は一人一人は変わっていくけれど関係、関係性はそう簡単に変わるものではないのかもしれない。自分と何かの関係。変わっていく自分と変わらずにそこに在り続けてくれるその関係に泣きそうになる。人との繋がり、音楽との繋がり。関係性がアップデートされずに、別れた次の日にまた会ったような感じ。
ありがとう、友達。そして何よりおめでとう。

2009年1月20日火曜日

寒風美函

今月前半は2つ展示に出かけた。

ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。

ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。

2008年12月16日火曜日

結局ジョアンは来なかった。

先週、待ち望んでいたジョアンジルベルトの来日公演は、中止となった。

これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。

2008年6月9日月曜日

彼方から音盤が(その3)~極々私的ディスク選~

【3】 David Grubbs & Nikos Veliotis / The Harmless Dust

―そのアパートの部屋を訪れたからと行って、家主が居るとは限らない。しかし、我々はほぼいつでもその部屋に上がることができる。部屋の中では、剥製と見間違うようなリアルな鳥の置物が木に止まっているのを横に見ながら、ソファでくつろぐこともできる。気が向けばそこでBOSEに電気を吹き込み、ボアダムスの10周年アニバーサリービデオを再生することも、そこに置かれた音楽を気ままに聞くことも可能だ。―

この一節はそこで起こり得たその部屋の状況。僕はその部屋が好きだった。ちゃぶ台の上、ないしちゃぶ台自体はいつでも演奏できる状態にあったし、眠くなったら横になれるベッドもあった。何より家主篠原敏蔵は寛容で穏やかな人で、いつでも僕らを受け入れてくれて、サービス精神に溢れた人で、僕は彼と彼の部屋が大好きだった。彼の部屋に居るとみんな、自由にリラックスできた。そして、彼は今までに僕にたくさんのことを教えてくれて、大事なことにたくさん気づかせてくれる人だ。

そんな彼の家で幾度となく行われたdb_electroという映像と音楽を同時に同位で演奏する僕のバンドのミーティング(そのミーティングの様子はそのまま僕らのライブの映像ソースとしても使われている)の時のことだ。大概、ミーティングはいつも開始時間が23時をまわって集合し始める。そして、いつもみんなが思い思いに本を読んだり、漫画を読んだり、パソコンで動画を見たり、音楽を聴いたり、ご飯を食べたりしながら、ミーティングが始まる。そんなときに、ふと、この音楽がかかる。状況は大して動かない。それぞれがそれぞれの感覚器を知覚させたいままにしている。音楽が鳴っている。時間は流れているのだろう、音楽は止まらない流れの中に居つづけた。

ふと顔を上げる。他のメンバーの様子は変わらない。ミーティングの議題とプラスチック容器のパスタ(ソースがなんであったか?もしかしたら、ハンバーグかなにか付け合せのパスタだったかもしれない)が絡みあって、次のライブのフレームを形作り始める。歯を磨いているメンバーもいる。そのリズムと関係なく、音楽は鳴っていた。僕も当然話の輪に加わる。音が止まらずに時を創る。話を聞きつつも、息を呑む。ピアノが鳴る。そして、音楽が鳴る前の自分と今の自分の感覚に既に変化が起きていることに僕はゆっくりと気づいていった。

僕はあの夜もおそらく興奮していたと思う。それは周りから見ればいつもの興奮した感じに見えたかもしれない。でも、それはきっと違う。僕がそうだと信じている限り。そんな6畳2間ぶち抜きの家での話。

2008年5月31日土曜日

彼方から音盤が(その2)~極々私的ディスク選~

【2】 Date Course Pentagon Royal Garden / GENERAL REPRESENTATION PRODUCTS CHAIN DRASTISM

dbの盟友、南舘崇夫は音楽に対して実に饒舌に語る熱い男であるが、時にその音楽を口頭で表現する際の擬音表現においても、その舌は止まることを知らず雄弁に語る。擬音という、音楽的言語表現とジャズミュージックの関係(実際、ジャズに限らない。邦楽をやるフランス人もこれと同様の問題に突き当たるだろう。)は、ネイティブか非ネイティブかと問題へも発展しかねないシリアスな問題だ。日本ではシンバルレガートをチーンチキ、チーンチキなどとよく言われるが、「おまえのそれはまるで、イーンチキ、イーンチキだ」と揶揄するような言い方でも使われ、南舘もこうした点において今まで有意識、無意識問わず、数々の試行錯誤のもと彼独自の音楽が表出するような擬音表現をしてきている。
例を挙げるとキリがないが、僕が聞いたものの中で、正に目が覚める思いで唸ったものをひとつ挙げよう。バンドのリハをしていた時にある曲の話になり(その曲はもはや思い出せない。その擬音と事実しか今の僕の記憶にはない)、その楽曲中のブレイクについて彼が言及しようとした。それはギターのカッティング、それもおそらくダウンストロークからアップストロークの裏拍からの8分音符2音続きとドラムのスネア、ハイハットのハーフオープンからクローズ(ギターと同じリズム)によるもので、彼はそれを「すちゃ」と表現した。

「すちゃ」!!

おお、なんと愛くるしい擬音だろう!
もう一度、

「すちゃ」!!

裏拍という無音の虚空をつかむような感覚、「間」そのものへ果敢にアプローチしている「ス」という音。裏拍の裏感と、音が鳴っている有音感がこの「ス」には豊かに含まれている。僕はこの「すちゃ」という言葉をことあるごとに愛し、使用させてもらっている。その都度彼の顔が頭に浮かぶ。「すちゃ」!!
そんな彼が僕に薦めてくれた一枚。しかし、このCDの中で、「すちゃ」は全く登場しない。それでも、DCPRG主宰者である菊地成孔のコンダクト姿を模しつつ、冒頭一曲目Catch22のブラスセクションのリフを得意の擬音で表現してくれた彼の姿と唄は今も僕の心を掴んだまま離さない。僕はそのときの擬音を残念ながら、録音することはできなかった。もし、録音が可能であったら、その子音と母音がどのような関係でどの楽器のどの音にあてられているか、分析することも可能だっただろう。しかし、今ではもう全く成し得ないことだし、ここでこうして記述されなければ、もう二度と想像されることも無い音であった。そして、その擬音は永遠に僕のおぼろげな記憶の中で鮮明に鳴り続ける以外に再生される空間は無く、まさに空へと消えていった音を僕は追う以外に術はない。

彼方から音盤が(その1)~極々私的ディスク選~

パソコンのデータを整理していると、数多くの書き散らかしたメモや文章、スケッチ、写真や画像などが出てくる。今回もそうした中で1年以上も前に友人の三谷に頼まれて書こうとしていた原稿が出て来た。結局、そちらは引き受けたもののぐずぐずしていて未完成のまま、原稿を落としてしまった。(実際にはWebで載せたいということだったので、落とすも締め切りもないのだけど)
せっかく、見つけたので、こちらに掲載してみようと思う。
お題は、あなたの好きなCD10枚を挙げて、自由に思いの丈を書いてください。というものだったと思う。ひねくれた僕はディスクレビューをするということを軽く放棄して、書きたいことを書こうと思ったのだが、当時あまりにも頭でっかちになってしまい。書ききれなかったのだと思う。この文章はそれの断片。


彼方から音盤が~極々私的ディスク選~


【はじめに】

音楽(とりわけある音盤)との出会いには大きく二つに分類することができるだろう。ひとつは自発的、偶発的の差あれど、自らその音盤に出会うケース、もう一つは誰か他人に推薦され、その音盤に出会うケース。これまでに筆者も様々な音盤と出会っているわけだが、その中で個人的な思い入れのある10枚を選ぶというこの依頼に対して、前者のものはあまりにも数が多く、選ぶための全体を把握すらできないだろう。
そこで、今回は後者の方、他人に推薦された音盤から選び、それを紹介することにした。
もっと言うと自分にとって心に残る印象的な人を10人選び、彼らが自分にいったい何を薦めたかということを飛び越えて、その人が僕に与えた音楽的な何かを直接・間接的を問わず書いてみたい。それは言ってみれば、僕の音楽的人格形成に影響した人々についての話に最終的になっているのと思うし、それがたとえディスクレビューという形になっていなくともまずは書いてみることにする。だからと言ってはなんだが、極力そのCDに関することは敢えて書かないようにもしてみる。また、これらは総て僕の後日談であって、多分に妄想的回顧録であることは前もって断っておきたい。そして、そうした性質を持ったテキストであるため、各テキストの文中には必ず最低1回は記憶があいまいなこと、失念していることを書き記し、僕がもう当時とはずいぶん遠くに来てしまったということを記しておく。


【1】Keith Jarrett / The Melody at Night, With You

これは関東平野の闇を切り裂く夜中の2時頃に県道をひた走る車の中で初めて聞いた。厳密に言うと、これは直接的に薦められて聞いたものではない。彼らが聞いていた時に自分もそこに居合わせていただけだ。このCDをおもむろに車内でかけた男はつい先ほどまで、あるジャズクラブ(そのクラブの名前は忘れた)で演奏をしていた、KAZUこと横島和裕氏だ。彼の運転するワゴン車の助手席には、ドラムス大井澄東氏が座っており、今日のギグのことを話している。僕はその後ろのシートで暗い中、二人の話を聞いている。当時、本当に小僧だった僕はボーヤをしていた。エンジン音の間から乾いたピアノの音が鳴り、車は北上している。前の席の二人が黙る。煙草に火がつけられて、窓が開く。「こういう音楽が俺たちには必要だ」と横島さんが呟く。窓が閉じて、車は川を越えて、帰宅の途に就く。この時僕はまだ、キースジャレットがこのアルバムを病気からのカムバックのために自宅で録音したものだとは全く知らない。車はこの日のギグへの思いをつめて、一日を終らせるために走っていた。

2008年5月21日水曜日

「思い出」のやりとり

今日は、今年度に始まった自主プロジェクトの打ち合わせ。景観を体験として共有するというようなことがテーマ。

3人でアイディアを出しながら議論をしていく感じなので、モノが生まれてくるような面白さがある。久し振りにいい議論ができていると思う。

今日の議論の断片をいくつか。
・「思い出」は相続できない
・長期的時間の中に「思い出」が生まれ、短期的時間の中に「経験・体験」が生じる
・ジェスチャーとしての空間認知のあり方
・「思い出」と「歴史」の関係

体験というキーワードから始まり、時間の中でそれがどう行われるか、考えているときに僕が普段音楽やっている中で考えている「時間をどう捉えるか」というテーマに一気に近接していき、個人的には盛り上がった。

以前、ドラムソロやフリーインプロの方法論として、ごくごく個人的であるという自由さについて考えていたことがあって、その時のテーマも「思い出」だった。個人の領域としての「思い出」の再現とコラージュによって、たしか楽曲の形を作ろうとしていたのだと思う。それが実際どれくらい成功していたかはもう思い出したくもないけれど。フリーインプロみたいなことをやりはじめたときに、頭の中がちがちにして、自由であるということと、自分にしかできないことみたいな牙城に篭りきるために、「思い出」から始めようという、もう前衛なんだか、保守なんだか。頭の硬いをことを考えていたこともあったなぁと。
思う。ただ、今でも思うことは、個人の不可侵な領域としての「思い出」と個人の「ボキャブラリー」というのはすごく近接していて、とても大事な問題だろうということだ。それありきで、会話が成立しているわけで、これから脱却することはできない。場面に応じて、「思い出」の再統合をして、表出させているのだろうと思う。ひらめきだけで、100m走り切れることってそうそうないことだろう。
で、もう一方で実は忘れるっていうこともすごい大事だと思っているが、それはまた今度(「思い出」の話ももっとちゃんと整理して書きたい)。

2008年1月15日火曜日

中央フリーウェイ

ユーミンこと荒井由実(現:松任谷由実)の名曲、「中央フリーウェイ」ですが、今日たまたま東京のインフラについて調べていたら、中央自動車道の開設と中央フリーウェイのリリースはどれぐらい時間差があるのだろうと思い、ちょっとネットサーフィンした結果。

昭和37(1957)年国土開発縦貫自動車道建設法にて、中央自動車道の策定がはじめて言われる
昭和42(1967)年12月15日調布IC〜八王子IC供用開始
(途中略)八王子以西では、徐々に供用開始
昭和51(1976)年5月18日:高井戸IC〜調布IC供用開始、首都高と接続

昭和51(1976)年9月~10月荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」レコーディング
昭和51(1976)年11月20日荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」リリース

昭和57(1982)年11月10日中央自動車道全線開通


注目は調布IC以西が先に開通して、起点の高井戸IC~調布ICの開通が遅れた点と、その区間が首都高に接続した年にちょうど都心から出かけるようにして、ユーミンが中央フリーウェイをリリースした点。
しかも、中央フリーウェイの歌詞にでてくる、中央自動車道沿いの風景の多くは、調布ICの先、府中近辺までで、さらにそれよりも西の八王子近辺は出てこない。「中央フリーウェイ」は中央自動車道と首都高速の接続記念的ソングとも言える。時代はモータリゼーションによる手軽な郊外レジャーの活発化した時期であった。この高速道路開通期につくられたこの歌は、単なる流行のドライブソングというだけではなく、いつでも簡単に都心を脱出して味わえるサバーバン賛歌でもある。

2007年12月14日金曜日

大谷能生『貧しい音楽』

大谷能生『貧しい音楽』読了。

非常にラフにいうと、
聴くということの意味が複製可能なレコードの登場によって、大きく変わってしまった。音楽が生まれる場所ということの意味、音楽が創られる場所という意味もまた大きく変質したということはこれまでも指摘されてきたようにも思う。しかし、ライブやコンサートといった類が依然その儀式性を保って残っていること以上に、圧倒的にレコードの登場は音楽を聴くという意味を変えてしまった。
音楽批評として論が立脚していることはいうまでもなく、文明批評、芸術・技術史論としてもとても読み応えがある内容だった。
聴くという行為にべったりとついている時間という概念をどのように認識するか、この聴くという観点から演奏するという行為にべったりとついている時間という概念とどのように対峙するか。複製される時間と今をもう一度考えるきっかけでもあったりする。

2007年12月13日木曜日

想像を順にして詰める

昨日、今日はひとに頼まれて、その人の準備しているパーティーでかける音楽のMixCDを作っていた。作っていたと言っても、そんなに本格的にがっちりつないで、Mixしてそれを録音するというよりも、プレイリストを考えて、並べてCDーRに焼くというもの。パーティーのタイムスケジュールに合わせて全部で4枚ほど準備してみたのだが、このMix作業なかなか面白い。昨日の段階ではかなり自分の好きなようにかかったら面白そうな音楽を並べていっていたのだが、どうもパーティーの趣旨に合わないようで、再度今日向こうの意向を聞いて作り直した。
そうすると、どうだろうか、パーティーの様子を想像しながら、こういう音楽がかかったらどうかなとか、頭の中ではパーティーが始るのだ。それに合わせて、音楽を並べていく。未来に向けたDJのような意識にだんだんとなっていく。まるで劇作家が脚本を書くような感じともいえなくもないけど、実はそこで、未来で起こる音楽体験を先に追体験(本来は過去のある体験をその後することだけど時間軸が一段階未来へずれている)するという感覚になる。大げさに言いすぎのようだけど、なかなか興味深い体験だった。
MixCDを作るという行為もなにか自分にとって、自分の音楽の感覚を磨く習作のようで今後も続けてやっていきたいことかもしれないと思った。