ツイッターなるものを興味本位ではじめてみました。
先月ぐらいからですが、
また、これまでのSNSやブログと異なるおもしろさがあり、興味津々です。
http://twitter.com/1080fellowships
1ヶ月ほどやって、少しどれくらいの感覚でフォローしてよいか、見定めていたのですが、僕の今使っているiPhoneのアプリ、一度にEchofonが200程度しかつぶやきをアップしないので、よっぽどでない限り2時間前のつぶやきはフォローしない感じでスルーできるところがなかなか自分にはちょうどいいです。
ブログも今まで通りやっていきます。
あと、最近これだけ神楽坂に入り込んでいて、やっと、というか「拝啓、父上様」を追いかけて見ています。物理的地理関係のゆがみがあり、それ(全くめちゃくちゃではないところ)が逆にファンタジックで面白いです。二宮君はやっぱりいいなぁ。あんな男の子実際にはどこにもいないと思うんだけどそこが、芝居的で凄くいいと思う。
2010年1月5日火曜日
3DaysDrunk
年末より正月と実家にて、
御年93歳のばあ様と家族と酒を飲みつつ、本ばかり読みながら、ぼーっとこの一年をどんな一年にしてみようか俯瞰していた数日間。外はめちゃくちゃ晴れていた。
関が原のような、拓けたタフな平原にも見える1年を少し小高い丘のようなところから眺めている心境。
変化の訪れる音が聞こえる。濃密でスローモーショナルな時間。終わればあっという間の一晩のような一年。
どんなにへとへとになろうとも、最後まで無事に健康で、そして、満足いかなくとも納得のいく一年にしなくてはと思う。20代最後の1年。
今晩は急に雨が降ってきた。
きっとこれは何かのしるし。
今年もよろしくお願いいたします。
酔筆殴雨。
御年93歳のばあ様と家族と酒を飲みつつ、本ばかり読みながら、ぼーっとこの一年をどんな一年にしてみようか俯瞰していた数日間。外はめちゃくちゃ晴れていた。
関が原のような、拓けたタフな平原にも見える1年を少し小高い丘のようなところから眺めている心境。
変化の訪れる音が聞こえる。濃密でスローモーショナルな時間。終わればあっという間の一晩のような一年。
どんなにへとへとになろうとも、最後まで無事に健康で、そして、満足いかなくとも納得のいく一年にしなくてはと思う。20代最後の1年。
今晩は急に雨が降ってきた。
きっとこれは何かのしるし。
今年もよろしくお願いいたします。
酔筆殴雨。
2009年12月28日月曜日
師、逝く
あまりに突然のことで未だ整理が出来ない。
この数日のめまぐるしい時間の動きに全くついていけてない。ただ、皆で先生を悼もうという残された者の意志が、自分たちを動かし、その中で、やるべきことや、振る舞いの中で刻々と時間が過ぎていった。集合時間に遅れないこと、みんなが動けるように配慮すること、参列してくれた方々の気持ちを不意にしないように動くこと。気がつけば、もう出棺の時間だった。一報から別れのその時までの時間のあっという間だったこと。
式が終わった後で、自分が先生と知り合った時間の全ては、医者から宣告された先生に残された短い時間の内だったことを知った。最後まで一歩でも前へ進み、進もうとされていた。あと半年あれば、また、先生はさらに何かを成し遂げ、偉大で、僕らの励みとなる業績を残されていたに違いない。あまりに早過ぎる急逝だった。
大きな背中だといつも思っていた。
その向こう側に何が見えているのか、ずっと追いかけていた。時間は短かったけれど、ちゃんと向き合ってくれていた。大事な励ましの言葉がたくさんあった。頂いたたくさんのヒントと可能性が、今も自分にはある。
これからまた、僕らはがんばらなきゃねと、仲間たちと確認した。何をどう頑張ったらいいかわからない。けれど、きっとそれでも変わらずに僕らは何かをやり続けるのだろう。
家に帰ってぼーっと手元にあったDVDをトレイに載せて再生。
HARMONYという音楽ドキュメンタリー。
さやというアーティストがこんな内容のことを言っていた。
「作品が残ったとしても、
それの出来上がったプロセスは残らない。
作者の考えはいつも頭の中にあるから。
でも、これが共同制作者がいると残るかもしれない。
たとえ、自分が死んでも、
その共同制作者に何かが残って、
それが誰かに伝わっていくかもしれないから。」
この数日のめまぐるしい時間の動きに全くついていけてない。ただ、皆で先生を悼もうという残された者の意志が、自分たちを動かし、その中で、やるべきことや、振る舞いの中で刻々と時間が過ぎていった。集合時間に遅れないこと、みんなが動けるように配慮すること、参列してくれた方々の気持ちを不意にしないように動くこと。気がつけば、もう出棺の時間だった。一報から別れのその時までの時間のあっという間だったこと。
式が終わった後で、自分が先生と知り合った時間の全ては、医者から宣告された先生に残された短い時間の内だったことを知った。最後まで一歩でも前へ進み、進もうとされていた。あと半年あれば、また、先生はさらに何かを成し遂げ、偉大で、僕らの励みとなる業績を残されていたに違いない。あまりに早過ぎる急逝だった。
大きな背中だといつも思っていた。
その向こう側に何が見えているのか、ずっと追いかけていた。時間は短かったけれど、ちゃんと向き合ってくれていた。大事な励ましの言葉がたくさんあった。頂いたたくさんのヒントと可能性が、今も自分にはある。
これからまた、僕らはがんばらなきゃねと、仲間たちと確認した。何をどう頑張ったらいいかわからない。けれど、きっとそれでも変わらずに僕らは何かをやり続けるのだろう。
家に帰ってぼーっと手元にあったDVDをトレイに載せて再生。
HARMONYという音楽ドキュメンタリー。
さやというアーティストがこんな内容のことを言っていた。
「作品が残ったとしても、
それの出来上がったプロセスは残らない。
作者の考えはいつも頭の中にあるから。
でも、これが共同制作者がいると残るかもしれない。
たとえ、自分が死んでも、
その共同制作者に何かが残って、
それが誰かに伝わっていくかもしれないから。」
2009年11月28日土曜日
雨も晴れも曇りも
今月、前半は学会で長岡へ。
久しぶりに先輩にも会い、発表前日の懇親会から、二次会はかなり盛り上がった。遂に先輩同士引き合わせたいと思っていた二人の歴史的邂逅をセッティングすることもでき、かなり満足な飲み会。いろいろな人たちとお話させてもらったが、昔からよく知る人の考え方の変化などにも触れることができて、とても刺激的な飲み会だった。
また、あちこちでの盛り上がりが次の展開をも生み、また一つ自分の前にチャンスがやってきている予感。
翌日、地元の先輩の車で会場入り。自分の発表する午前のセッションは、とても充実していたメンバーで、とても熱が入っている話がたくさん聞けた。ずっとお会いしたかった人ととも会えて満足。
この時期の長岡は新潟らしい気候とのことで、1時間のうちに天気が何回も変わる。雨が降ってザーザーに降り出したかと思うと、20分後には晴れて、太陽が顔を覗かせる。
一日の内にこんなにたくさん虹を見たのははじめてだ。
写真は、帰りのバスから見た風景。ガラス越しの雨と晴れ。
久しぶりに先輩にも会い、発表前日の懇親会から、二次会はかなり盛り上がった。遂に先輩同士引き合わせたいと思っていた二人の歴史的邂逅をセッティングすることもでき、かなり満足な飲み会。いろいろな人たちとお話させてもらったが、昔からよく知る人の考え方の変化などにも触れることができて、とても刺激的な飲み会だった。
また、あちこちでの盛り上がりが次の展開をも生み、また一つ自分の前にチャンスがやってきている予感。
翌日、地元の先輩の車で会場入り。自分の発表する午前のセッションは、とても充実していたメンバーで、とても熱が入っている話がたくさん聞けた。ずっとお会いしたかった人ととも会えて満足。
この時期の長岡は新潟らしい気候とのことで、1時間のうちに天気が何回も変わる。雨が降ってザーザーに降り出したかと思うと、20分後には晴れて、太陽が顔を覗かせる。
一日の内にこんなにたくさん虹を見たのははじめてだ。
写真は、帰りのバスから見た風景。ガラス越しの雨と晴れ。
2009年11月13日金曜日
ワインと頭突きの休日
大切な友人の結婚式のため、軽井沢へ。
新幹線で一時間のそこは東京と違う空気に包まれていて、避暑地の木立は既に冬支度をしており、夕焼けに染まる山際は、紅葉なお赤々としていた。
終始和やかなふたりの感じが出ていた素敵な結婚式でとてもよかった。教会結婚式だったのだけれど、今までで一番良い感じの神父さんだったかもしれない。というのは、なんともいい距離感のとれる、望ましい第三者だったような気がするからだ。遠くなく、近すぎず、神様と我々、新郎新婦と我々、新郎新婦と神様の間を取り持つ。ただそこにいて、議事進行するのではなくて、ちゃんと儀式をしていた。
そういう儀式の持っている他所からの承認って普段の生活からは縁遠いけれど節目のけじめとしてはすごい大事なことだなと改めて思った。
帰りの新幹線では、ワインのボトルを抱えた友人とこの秋亡くなったレヴィストロースのことを中心に、ナーガールジュナやお薦め映画の話や超人を発見することについて、駅と老人について、カルロスカスタネダについて
、とりとめなく、楽しく話した。式からずっと、あっという間の時間だった。
新幹線で一時間のそこは東京と違う空気に包まれていて、避暑地の木立は既に冬支度をしており、夕焼けに染まる山際は、紅葉なお赤々としていた。
終始和やかなふたりの感じが出ていた素敵な結婚式でとてもよかった。教会結婚式だったのだけれど、今までで一番良い感じの神父さんだったかもしれない。というのは、なんともいい距離感のとれる、望ましい第三者だったような気がするからだ。遠くなく、近すぎず、神様と我々、新郎新婦と我々、新郎新婦と神様の間を取り持つ。ただそこにいて、議事進行するのではなくて、ちゃんと儀式をしていた。
そういう儀式の持っている他所からの承認って普段の生活からは縁遠いけれど節目のけじめとしてはすごい大事なことだなと改めて思った。
帰りの新幹線では、ワインのボトルを抱えた友人とこの秋亡くなったレヴィストロースのことを中心に、ナーガールジュナやお薦め映画の話や超人を発見することについて、駅と老人について、カルロスカスタネダについて
、とりとめなく、楽しく話した。式からずっと、あっという間の時間だった。
2009年11月2日月曜日
知らなかった。
ここ一年ぐらい、好きでよくネタを見ていたお笑いコンビのかたつむりが、今月で活動休止するらしい。家の都合ということらしく、それが解決したら、是非復活して欲しい。
彼らの笑いは悪ふざけというか、舞台が成立するかしないかのぎりぎりのところを突いてくる。お笑いの舞台は当然ながら笑いに来ている客に笑いを提供する。それはある意味ハードルは低いとも言えるし、笑おうとして構えているため、ハードルは高いとも言える。
その中で誰もが見なれたお笑いのステージは、決して見慣れたお笑いが展開しない。漫才がいつまでも始まらない。ボケの林がぐずって、漫才が全然始められない。ツッコミの中澤は、お客に謝りながら、林を何とか説得して、漫才を始めたい。会話はなんとかぎりぎりで成立している。駄々を捏ねるとはまさにそういう状態。概ね相手の言っていることはわかるけど、落としどころのない状態が、ずっと続く。
中澤の声を張った説得は、胡散臭さと本気っぽさが両立していて、理解しがたいボケの林が、茶番と真剣なボケの境界をぼかす。だんだん、本当に何を見せられているのかわからなくなる 笑
そこに真顔で林が「俺だって漫才やりたかったんだ」というとどめを刺す。
客と演者の共感のできなさが、舞台上で漫才を成立させ、舞台上では、意思の疎通が図れないまま(意思の疎通の探り合いこそが、漫才というか会話を成立させる前提でもある)、ただひたすらに漫才を渇望する2人。逆説的であるが故に、ボケとツッコミが、茶番の上でリアリティを持って上演され、ドライブしていく。そして、彼もまた客観視された遠いところから舞台を眺めて、舞台を、漫才を求めているのだ。
僕はかたつむりの活動休止ももしかしたら大いなる彼等の茶番なのではないかと期待している。そして、復活のときにはまた、あのサンパチマイクを探すのだ。
彼らの笑いは悪ふざけというか、舞台が成立するかしないかのぎりぎりのところを突いてくる。お笑いの舞台は当然ながら笑いに来ている客に笑いを提供する。それはある意味ハードルは低いとも言えるし、笑おうとして構えているため、ハードルは高いとも言える。
その中で誰もが見なれたお笑いのステージは、決して見慣れたお笑いが展開しない。漫才がいつまでも始まらない。ボケの林がぐずって、漫才が全然始められない。ツッコミの中澤は、お客に謝りながら、林を何とか説得して、漫才を始めたい。会話はなんとかぎりぎりで成立している。駄々を捏ねるとはまさにそういう状態。概ね相手の言っていることはわかるけど、落としどころのない状態が、ずっと続く。
中澤の声を張った説得は、胡散臭さと本気っぽさが両立していて、理解しがたいボケの林が、茶番と真剣なボケの境界をぼかす。だんだん、本当に何を見せられているのかわからなくなる 笑
そこに真顔で林が「俺だって漫才やりたかったんだ」というとどめを刺す。
客と演者の共感のできなさが、舞台上で漫才を成立させ、舞台上では、意思の疎通が図れないまま(意思の疎通の探り合いこそが、漫才というか会話を成立させる前提でもある)、ただひたすらに漫才を渇望する2人。逆説的であるが故に、ボケとツッコミが、茶番の上でリアリティを持って上演され、ドライブしていく。そして、彼もまた客観視された遠いところから舞台を眺めて、舞台を、漫才を求めているのだ。
僕はかたつむりの活動休止ももしかしたら大いなる彼等の茶番なのではないかと期待している。そして、復活のときにはまた、あのサンパチマイクを探すのだ。
2009年10月25日日曜日
ひとが繋がる。知らず知らずに。
幹事をやっている同窓会の総会、代官山。
完璧に準備出来たとは言い難かったが、ほぼ滞りなく進んでよかった。
筑波の知り合いと東大の知り合いが仕事の現場で知り合い、仕事をしているということがあるみたいで、複数人に「◯◯さん知ってますよね?」と話かけられる。業界は狭い。が、なんかとても嬉しい気持ちになる。
完璧に準備出来たとは言い難かったが、ほぼ滞りなく進んでよかった。
筑波の知り合いと東大の知り合いが仕事の現場で知り合い、仕事をしているということがあるみたいで、複数人に「◯◯さん知ってますよね?」と話かけられる。業界は狭い。が、なんかとても嬉しい気持ちになる。
2009年10月23日金曜日
フジヤマはナニイロ
河口龍夫展を見に国立近代美へ。
2年振りに先生の個展が見れた。
印象に残ったのは、数あれど想像が自然と駆け巡ったのは黒板塗料が塗られた地球儀。地球儀を支える木の丸い台座にはチョークが一本添えられている。ただそれだけのものが眼の前にあるが、想像はチョークの石灰質の塗り固められた粉の一粒一粒に及ぶ。このチョークの粉が黒板塗料の地球に雪を降らせた時のことを僕は想像した。しかし、依然としてこのチョークは線を引かれるのを待ち望んでいるのかもしれないし、消される覚悟はあるんだろうか?
ペンは口ほどにものを言う。というが、チョークはどうだろう。チョークに軸はない。ただ白墨の練りもの。剥き身で粉を散らし、何度も引き直され、どんどんと短くなる。もう地球にはどれくらい線が引かれているだろう。チョークの粉が山の様に積もって、地形を成しているのが、眼に浮かぶ。不二山に雪が積もる季節がやってきた。
2年振りに先生の個展が見れた。
印象に残ったのは、数あれど想像が自然と駆け巡ったのは黒板塗料が塗られた地球儀。地球儀を支える木の丸い台座にはチョークが一本添えられている。ただそれだけのものが眼の前にあるが、想像はチョークの石灰質の塗り固められた粉の一粒一粒に及ぶ。このチョークの粉が黒板塗料の地球に雪を降らせた時のことを僕は想像した。しかし、依然としてこのチョークは線を引かれるのを待ち望んでいるのかもしれないし、消される覚悟はあるんだろうか?
ペンは口ほどにものを言う。というが、チョークはどうだろう。チョークに軸はない。ただ白墨の練りもの。剥き身で粉を散らし、何度も引き直され、どんどんと短くなる。もう地球にはどれくらい線が引かれているだろう。チョークの粉が山の様に積もって、地形を成しているのが、眼に浮かぶ。不二山に雪が積もる季節がやってきた。
2009年10月22日木曜日
俺はまだ歌舞伎を見たことがない
神楽坂で月例会。
次の議論へ向けて着々と進行。
だんだんと単純じゃない其々の思いも見えてきた。
今日も会終わりの打ち上げで、色々話ししたが、僕のことを地元の人たちは、もう何年も関わっているって思ってくれているのが、嬉しかった。高々一年ちょっと。でも、濃く付き合わせてもらっている。
こちらもまちのことを応援しているつもりだが、百倍応援され返している。嬉しい話や楽しい話もたくさん聞かせてもらって、借りだらけだ。今日の標題、歌舞伎の話はすごい楽しかった~。
たまこんにゃくの芥子は、辛かったな~。
色々と分けてもらった僕にあっては、返すものきっちり返して、お礼参りしなきゃなるめぃ。淡路町の澹さんの孫は義理無し仁義で返すってぇもんよ。相手が商売人ならなおのことよ。
次の議論へ向けて着々と進行。
だんだんと単純じゃない其々の思いも見えてきた。
今日も会終わりの打ち上げで、色々話ししたが、僕のことを地元の人たちは、もう何年も関わっているって思ってくれているのが、嬉しかった。高々一年ちょっと。でも、濃く付き合わせてもらっている。
こちらもまちのことを応援しているつもりだが、百倍応援され返している。嬉しい話や楽しい話もたくさん聞かせてもらって、借りだらけだ。今日の標題、歌舞伎の話はすごい楽しかった~。
たまこんにゃくの芥子は、辛かったな~。
色々と分けてもらった僕にあっては、返すものきっちり返して、お礼参りしなきゃなるめぃ。淡路町の澹さんの孫は義理無し仁義で返すってぇもんよ。相手が商売人ならなおのことよ。
2009年10月20日火曜日
劇的な3時間
なんか思いつきで、翌日午前中の仕事が空いたので、
終電で後輩KとKとうちまで来て、車に乗って星を見に山梨まで出かける。
盆地の夜景は、想像以上に良くって、地形がそうさせているよりは、
普通の光が、これだけ集まって瞬いているのが素朴に良かった。
車中、一晩中いろいろな話したり、流れ星ぼーっと見て、
明け方、ほったらかし温泉へ。
暗がりの中、ほんのりと空が明けてくるのただただ、湯の中で待つ。
湯に浸かってのご来光。初体験。というか、久しぶりの日の出を待つ体験。
よくパンチラインで夜明け前が最も暗いというが、
今日は明けた朝の明るさの劇的な変化がそう呼ばせているような気がした。
数時間前、太良ケ峠で凍えて流れ星眺めていたのが嘘のような展開。
終電で後輩KとKとうちまで来て、車に乗って星を見に山梨まで出かける。
盆地の夜景は、想像以上に良くって、地形がそうさせているよりは、
普通の光が、これだけ集まって瞬いているのが素朴に良かった。
車中、一晩中いろいろな話したり、流れ星ぼーっと見て、
明け方、ほったらかし温泉へ。
暗がりの中、ほんのりと空が明けてくるのただただ、湯の中で待つ。
湯に浸かってのご来光。初体験。というか、久しぶりの日の出を待つ体験。
よくパンチラインで夜明け前が最も暗いというが、
今日は明けた朝の明るさの劇的な変化がそう呼ばせているような気がした。
数時間前、太良ケ峠で凍えて流れ星眺めていたのが嘘のような展開。
2009年10月14日水曜日
怒り雨降って、土から我が子が生まれる
たまに怒りを人に顕にしなくてはいけない場面に出喰わすと、本当に消耗する。久々に疲れた。
普段から多少なりとも、実現したい光景へ向けて自分の内圧上げてやっているつもりだけど、自分の大切にしたい気持ちをシェアしたい人から軽く裏切られたり、雑に心情を扱われると正直しんどい。
とはいえ、自分だって知らずに同じことをやってしまっていることもあるかもしれない。
振り返る。
思い返す。
反省だけじゃ仕方がない。
昨日もらった今日は、ちゃんと明日に無事渡せただろうか?
今から自分は、ちゃんとしよう。
誰かに自分の仕事を任せる時は、自分の子供を養子に出すぐらい大事なことと思いたい。引き受けた仕事は、相手の大事な子供と思って大事にしたい。
また、それも大事な新しい出会い。あなたの捨てた子供は、今一度私が腹を痛めて産んだのだ。決して、死なせるなんていけないのだ。
こんにちは、赤ちゃん。お前はずっと傍にいろ。
普段から多少なりとも、実現したい光景へ向けて自分の内圧上げてやっているつもりだけど、自分の大切にしたい気持ちをシェアしたい人から軽く裏切られたり、雑に心情を扱われると正直しんどい。
とはいえ、自分だって知らずに同じことをやってしまっていることもあるかもしれない。
振り返る。
思い返す。
反省だけじゃ仕方がない。
昨日もらった今日は、ちゃんと明日に無事渡せただろうか?
今から自分は、ちゃんとしよう。
誰かに自分の仕事を任せる時は、自分の子供を養子に出すぐらい大事なことと思いたい。引き受けた仕事は、相手の大事な子供と思って大事にしたい。
また、それも大事な新しい出会い。あなたの捨てた子供は、今一度私が腹を痛めて産んだのだ。決して、死なせるなんていけないのだ。
こんにちは、赤ちゃん。お前はずっと傍にいろ。
2009年10月6日火曜日
海を手に入れる
助教の方が出張でお土産に雲丹の塩漬けを地元の方からたくさんもらってお裾分けしてもらった。
あれ?出張で行った村は確か内陸だったはず。。。?と思っていたら、平成の市町村大合併でできた町には、海に隣接した町もあって、この村だったところは、特産品に海産物もできたとのこと。
なんじゃそら。
と、思ってみたが、そもそも大概のお土産や特産品は、自分がつくったものでもないし、他人がつくったものなわけで、それを自分にとっての自慢にできるような(自慢じゃなくてもいいけど)関係性を持てるかが大事なんだなとおもった。認識できて、無理なく繋がれる、見えないネットワークでも、アイデンティティを形成することはできるのかもしれない。
雲丹の塩漬け、とても美味い。
あれ?出張で行った村は確か内陸だったはず。。。?と思っていたら、平成の市町村大合併でできた町には、海に隣接した町もあって、この村だったところは、特産品に海産物もできたとのこと。
なんじゃそら。
と、思ってみたが、そもそも大概のお土産や特産品は、自分がつくったものでもないし、他人がつくったものなわけで、それを自分にとっての自慢にできるような(自慢じゃなくてもいいけど)関係性を持てるかが大事なんだなとおもった。認識できて、無理なく繋がれる、見えないネットワークでも、アイデンティティを形成することはできるのかもしれない。
雲丹の塩漬け、とても美味い。
2009年10月4日日曜日
あぐれっしぶうぇでぃんぐ
友達の結婚パーティーに出る。
馴染みの仲間や友達たちがたくさん揃う楽しいパーティーだった。僕も久しぶりの面子でピアノトリオでジャズミュージックを添えた。久しぶりだったので、前々日にリハなんかもしたりした。
パーティーは勿論すごい良かったんだけども、久々のどジャズな感じ。たくさんの感情のひだに触れるあの感じ。
懐しさが込み上げてきて、まるで時間が止まっているような、止まっていた時間が再び動き出してきたような。人は一人一人は変わっていくけれど関係、関係性はそう簡単に変わるものではないのかもしれない。自分と何かの関係。変わっていく自分と変わらずにそこに在り続けてくれるその関係に泣きそうになる。人との繋がり、音楽との繋がり。関係性がアップデートされずに、別れた次の日にまた会ったような感じ。
ありがとう、友達。そして何よりおめでとう。
馴染みの仲間や友達たちがたくさん揃う楽しいパーティーだった。僕も久しぶりの面子でピアノトリオでジャズミュージックを添えた。久しぶりだったので、前々日にリハなんかもしたりした。
パーティーは勿論すごい良かったんだけども、久々のどジャズな感じ。たくさんの感情のひだに触れるあの感じ。
懐しさが込み上げてきて、まるで時間が止まっているような、止まっていた時間が再び動き出してきたような。人は一人一人は変わっていくけれど関係、関係性はそう簡単に変わるものではないのかもしれない。自分と何かの関係。変わっていく自分と変わらずにそこに在り続けてくれるその関係に泣きそうになる。人との繋がり、音楽との繋がり。関係性がアップデートされずに、別れた次の日にまた会ったような感じ。
ありがとう、友達。そして何よりおめでとう。
2009年3月17日火曜日
展示によって伝えるということも仕掛けていた
週末、最終日が迫っている東京オペラシティでの「都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み」展へ。
ヨーロッパを中心にスイスで活動している設計事務所ディーナー&ディーナーのプロジェクト展。かなり力の入っている冊子を見ながら、その通し番号がふられたプロジェクトの模型やコンペのプロジェクトブックを見るというもの。建築単体のプロジェクトからマスタープラン、新築からリノベーション、増改築まで幅広く、充実したその活動の物量に圧倒される。
どれも、かなり理性的なある種の正しさの元に設計、計画が立てられている印象が、とてもよかった。入り口で配られた冊子と展示の順番は必ずしもあっておらず、誰かの感想では宝探しのようだとプラスにとられていたが、ナビゲーションは正直わかりにくいものだった。
しかし、都市プロジェクトなどはもちろん、建築のプロジェクトの類は、絵画ではない。一目で「これはだめだな」と思うものは問題外だが、そう簡単に、それが何であるかなんて理解できない。
冊子で会場に展示されたプロジェクトを確認して、これはどんな計画なのか立ち止まってゆっくりと見る。冊子と、模型を何度も行き来しながら、展示品の周りをぐるぐる回る。このペースでないと展示内容は、ちょっと理解できないだろう。でないと、なんだかよくわからない内にそこを通り過ぎてしまう。
この展示は、何でも情報をわかりやすく、サービスとして出すことでは、逆に通り過ぎてしまうメッセージ、計画案を伝えようとしているように感じた。見る側は、しっかりと見てくれる、見たいと思う人が来てくれる。その人たちが自由にじっくりと鑑賞できるように、プログラムする。という、コンセプトなのではなかっただろうか。敷居が高いようでもあるが、理想も志も高い展示だったと思う。
ヨーロッパを中心にスイスで活動している設計事務所ディーナー&ディーナーのプロジェクト展。かなり力の入っている冊子を見ながら、その通し番号がふられたプロジェクトの模型やコンペのプロジェクトブックを見るというもの。建築単体のプロジェクトからマスタープラン、新築からリノベーション、増改築まで幅広く、充実したその活動の物量に圧倒される。
どれも、かなり理性的なある種の正しさの元に設計、計画が立てられている印象が、とてもよかった。入り口で配られた冊子と展示の順番は必ずしもあっておらず、誰かの感想では宝探しのようだとプラスにとられていたが、ナビゲーションは正直わかりにくいものだった。
しかし、都市プロジェクトなどはもちろん、建築のプロジェクトの類は、絵画ではない。一目で「これはだめだな」と思うものは問題外だが、そう簡単に、それが何であるかなんて理解できない。
冊子で会場に展示されたプロジェクトを確認して、これはどんな計画なのか立ち止まってゆっくりと見る。冊子と、模型を何度も行き来しながら、展示品の周りをぐるぐる回る。このペースでないと展示内容は、ちょっと理解できないだろう。でないと、なんだかよくわからない内にそこを通り過ぎてしまう。
この展示は、何でも情報をわかりやすく、サービスとして出すことでは、逆に通り過ぎてしまうメッセージ、計画案を伝えようとしているように感じた。見る側は、しっかりと見てくれる、見たいと思う人が来てくれる。その人たちが自由にじっくりと鑑賞できるように、プログラムする。という、コンセプトなのではなかっただろうか。敷居が高いようでもあるが、理想も志も高い展示だったと思う。
2009年3月12日木曜日
装丁と新展開
数日前の思い出し日記。
田中さんと研究会。来年度の展開などについて話をする。
これまでの課題がクリアーになる部分もあり、実際の行動に出るということ、調査をしっかりやるということ。で、合意。来年度も楽しくなりそうだ。
注文していた古本が届く。比較的大きめの古本はきっちりと梱包され、それと一緒に古書目録も同封されていた。港や書店の古書目録は装丁が格好良い。他の古書店が比較的おとなしめだが、写真の四方裁ち落としで、表、裏表紙、背表紙とそれぞれ別々の写真をうまくつかっている。今回は大正時代は大阪の女学校の市内見学記念写真帳からのもので、とてもよい。
田中さんと研究会。来年度の展開などについて話をする。
これまでの課題がクリアーになる部分もあり、実際の行動に出るということ、調査をしっかりやるということ。で、合意。来年度も楽しくなりそうだ。
注文していた古本が届く。比較的大きめの古本はきっちりと梱包され、それと一緒に古書目録も同封されていた。港や書店の古書目録は装丁が格好良い。他の古書店が比較的おとなしめだが、写真の四方裁ち落としで、表、裏表紙、背表紙とそれぞれ別々の写真をうまくつかっている。今回は大正時代は大阪の女学校の市内見学記念写真帳からのもので、とてもよい。
2009年3月11日水曜日
西国街道を往く

今月の地方出張調査を行ってきた。
場所は姫路、岡山、福山の3都市。
いずれも城下町都市で、城が現存、復元されている。こうして立て続けに城下町を訪れ、例外なく、登城したりすると、やはり子供の頃から自分が城好きだったんだなぁという感慨が、当時のわくわくした感情の記憶の断片とともに込み上げてくる。もっというと、僕は城の建築そのものよりも、プランや石垣が好きだった気がする。城模型も城を建築物単体で見るよりもサイト、ジオラマとして捉えて制作していたような。
当時から今につながる何かがあるなぁ。なんて思ったり。
ついでに言うと、世界遺産にもなった、国宝姫路城のかっこよさはなんと言っても石垣のかっこよさにあるような気がした。傾斜が急で、高くそびえている。その基壇のリフトアップ効果がなんとも、プロポーションをよくみせているようだ。
月末にも地方調査が控えている。
2009年2月20日金曜日
本が時間を旅する
大学の総合図書館の書庫はお気に入りの場所の一つだ。
天井が低く、ほの暗い。陰気な感じで生きた心地はあまりしないのだが、
それでも圧倒的な数の本が陳列されて、ふつふつと語りかけてくるようなそんな場所。感応センサーで自分のいる書棚の上の照明がつく。自分のいる部屋の離れた奥の棚の方で明かりがついて、頁を繰る音が聞こえる。上の階を人が歩く音がする。自分のそばで自分と違う世界へと出かけている人の気配とその音。そんな場所。
自分はその日は磯村先生の著作物を調べていて、借りてきた一冊を開くと本の頁の間から昔の貸出用紙の複写紙が出てきて、昭和40年11月22日に借りられたことを告げた。昭和40年から平成21年までの間にこの本を手に持った者がいないかどうかはわからないけれど、そこで本を開いた人が書棚に戻し、それを次に自分が手にしたことは間違いない。若い夏目漱石は、この図書館(厳密には当時のものとは違う)にあるすべての本のすべての頁に誰かが読んだ痕跡があることを三四郎を通じて驚嘆していた。
図書館の何か、醍醐味を感じさせる一瞬。
天井が低く、ほの暗い。陰気な感じで生きた心地はあまりしないのだが、
それでも圧倒的な数の本が陳列されて、ふつふつと語りかけてくるようなそんな場所。感応センサーで自分のいる書棚の上の照明がつく。自分のいる部屋の離れた奥の棚の方で明かりがついて、頁を繰る音が聞こえる。上の階を人が歩く音がする。自分のそばで自分と違う世界へと出かけている人の気配とその音。そんな場所。
自分はその日は磯村先生の著作物を調べていて、借りてきた一冊を開くと本の頁の間から昔の貸出用紙の複写紙が出てきて、昭和40年11月22日に借りられたことを告げた。昭和40年から平成21年までの間にこの本を手に持った者がいないかどうかはわからないけれど、そこで本を開いた人が書棚に戻し、それを次に自分が手にしたことは間違いない。若い夏目漱石は、この図書館(厳密には当時のものとは違う)にあるすべての本のすべての頁に誰かが読んだ痕跡があることを三四郎を通じて驚嘆していた。
図書館の何か、醍醐味を感じさせる一瞬。
2009年2月16日月曜日
九州へ

今月上旬。
調査で単身九州へ。長崎~熊本~鹿児島と1都市2日ずつの日程で、資料収集と現場調査。とにかく歩いて、現場を確認するように見て行く。対象と自分の視覚を中心にした感覚の間を幾度も幾度も行ったり来たりしながら、思考へフィードバックさせていく。調査の内容はいずれちゃんとした場面でしかるべきアウトプットをするとして、付随して見て回った建築についていくつか。
長崎は、初めて訪れたので、かなり基本的な建築物からざーっと見た。近作では、運河をまたいで、展示スペースが採られた隈研吾の長崎県美術館と栗生明の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がかなり印象に残った。後者は特にうまく言葉に出来ない部分もまだあり、どこかでちゃんと整理して言葉にして説明を試みたい。建築自体がどうも静かに建っているわりにどこか饒舌なようで、なんとも言えない。ただ、息をのむ美しい空間が展開していたのは間違いない(アップした写真は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)。
近代建築は旧長崎英国領事館が中まで入れなかったけどファサードはかなり良かった。
熊本は、前川國男の熊本県立美術館が良かった。熊本城址の斜面の高低差にうまく展示室を振って、中央の吹き抜けに階段と渡り廊下で出会わせる計画などばっちり。
篠原一男の熊本北警察署は公園に隣接していて前面道路の幅員と、建物前にとった駐車場の関係でかなりセットバックして立っており、町並み的には違和感があまりない印象。相変わらずの力強いヴォリューム感。
鹿児島は現場回りが大変で建築をちゃんと見てまわれなかった印象。ところどころで、片岡安の中央公民館や、曾根達蔵の憲政記念館などは外観見学はできたけれど。
熊本の夜にぶらっと寄った熊本現代美でアラーキー展がやっていてこれがかなりよかった。今回のテーマ、一般公募の母親とその赤ちゃんのヌードポートレイトで、荒木にしかできない仕事ぶり。いい写真がたくさん見れた。
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