2008年3月5日水曜日

ストリートに咲く笑いの花

先日、図書館までぶらぶらと歩いていた。

道すがら通りがかった児童館の前で子供らが鬼ごっこをしていたのだった。彼らは口々に小島よしおや藤崎マーケットのギャグを叫びながら駆け回る。ああ、ここにこそお笑いブームを実感として垣間見ることができるなと思った。確かにようつべやニコ動の閲覧数や、コメント数からも見える部分はあるし、ネット発の若手発掘が今や重要かつ旬な仕掛けとなっているのもわかる。ブームの仕掛けと広がりにネットがあったとしても、リアクションのボトムにはいつもストリートがある。街角に咲く「おっぱっぴー」になんかブームの持つ力を感じるのだった。

2008年2月26日火曜日

自分の声・自分の作法

最近、ポータブルレコーダーEDIROL R-09を入手して面白がって、いろいろなものを録音してまわっている。
マイクを通していろいろな音が録れて、デジタルデータ化される。
携帯して録音しているので、そこに録られた音は少なくとも自分も一度聞いているはずの音なのだが、やっぱり意識して聞いていない音がたくさんあって、発見がある。今プレイバックしているのは、先週の“S”の打ち合わせ。食事しながらの打ち合わせで店にかかっているBGMが打ち合わせ時にはまったく聞こえていなかったことがわかる。BGMが意識の向こうにあったということがよくわかる。

そして、自分の声。話し声。
何度となく聞いているが、改めて思ったよりも声が基本低いなぁと思うところがあるのと、抑揚がついてしゃべっている時には逆に思ったよりも高い音域までしゃべっているのがわかる。普段話しをしているときも自分の声を聞きながら話をしていて、自分の口調を意識しているとは思う。そこで自分の話したい話し方を、選び取ってコントロールして話をしていると思う。だが、発音された向こう側でそのフレージングがどう響いているか、どう聞こえているかというのは、内発された意識、自分の耳が聞いているものとは別なものだなぁと思う。

継続してしばらくこの機材で面白がって録音しまくるだろうと思う。

2008年2月24日日曜日

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』読了。

久し振りに、しっかりと小説を読んだ。
ある一人のインド系アメリカ移民の子が一風変わった名前を名づけられる。そんな家族の話。それ以上のことは何も起こらない。にも関わらず、描写のひとつひとつにとても感じ入るものが溢れていて、最後まで惹きつけて止まない。とてもいい小説だった。

時間が多くの人のそれぞれに共感されたり、されなかったりする中で、この小説は時間を積み上げるように淡々と描写している。人物を描写しつづけるということは、一方でこの時間を描写しつづけるということでもある。そして、これがなんとも鮮烈で、胸を焦がして夢中になって頁を繰った。

ふとこれまでの自分のわずかな人生の時間を積み上げられたものとして眺めてみる。何かが起こったようで、実際のところ何かが起きていただろうか?過去を眺めていても、見えるのは淡々とした世界とそれに透かして見える自分の周辺のことだけで、何か気づくにはまだまだ多くの時間を要するのかもしれない。

2008年2月19日火曜日

同窓会賞

今週末は、
学部、修士課程と在籍していた大学の都市計画専攻同窓会主催の優秀卒業論文賞選考会に出席してきた。

本選考会、実際の卒論発表会時に先生方によって、採点され選ばれた数本の論文を同窓会選考会で再度発表してもらい、学術的に優秀と認められたものからさらに同窓会として、優秀だというものを一本選ぶというもの。
今年度より学部生の部だけでなく、修士の部もあり、内容的に充実したものだった。
このような大学の専攻同窓会が論文コンペをするというのは、他に例があまりないらしく、縦のつながりを大事にしようという学科全体の流れによるもの。かく言う自分も数年前にこの選考会にノミネートされ、いろいろな質疑の中で先輩たちのコメントから多くののことを学んだというか感じたものだった。それは社会人目線であり、先輩目線であり、学生時代に感じていたものとその後の社会で感じていることのミーティングポイントとして機能している。

発表する学生の姿や、懐かしい先生方のコメントから、自分のいた学科の校風のようなものをしっかり見せつけられ、確かに自分もここで習ったのだなぁと実感。うちの学科はプレゼンに力が入った学科で、いかに自分が訴えたい問題がそこにあるかということ、それを自分の提案でいかに解決するかというところに力点が置かれていたのだったと改めて実感。それは今でも重要なスタンスだと思っている。自分も初心忘れず頑張ろう。
終ってからの懇親会では、当時僕が設計課題でTAをしていた学生たちが大学院に進学していたりと懐かしいことこのうえない。

2008年1月15日火曜日

中央フリーウェイ

ユーミンこと荒井由実(現:松任谷由実)の名曲、「中央フリーウェイ」ですが、今日たまたま東京のインフラについて調べていたら、中央自動車道の開設と中央フリーウェイのリリースはどれぐらい時間差があるのだろうと思い、ちょっとネットサーフィンした結果。

昭和37(1957)年国土開発縦貫自動車道建設法にて、中央自動車道の策定がはじめて言われる
昭和42(1967)年12月15日調布IC〜八王子IC供用開始
(途中略)八王子以西では、徐々に供用開始
昭和51(1976)年5月18日:高井戸IC〜調布IC供用開始、首都高と接続

昭和51(1976)年9月~10月荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」レコーディング
昭和51(1976)年11月20日荒井由実「中央フリーウェイ」含むアルバム、「14番目の月」リリース

昭和57(1982)年11月10日中央自動車道全線開通


注目は調布IC以西が先に開通して、起点の高井戸IC~調布ICの開通が遅れた点と、その区間が首都高に接続した年にちょうど都心から出かけるようにして、ユーミンが中央フリーウェイをリリースした点。
しかも、中央フリーウェイの歌詞にでてくる、中央自動車道沿いの風景の多くは、調布ICの先、府中近辺までで、さらにそれよりも西の八王子近辺は出てこない。「中央フリーウェイ」は中央自動車道と首都高速の接続記念的ソングとも言える。時代はモータリゼーションによる手軽な郊外レジャーの活発化した時期であった。この高速道路開通期につくられたこの歌は、単なる流行のドライブソングというだけではなく、いつでも簡単に都心を脱出して味わえるサバーバン賛歌でもある。

2008年1月10日木曜日

zasshi!!! zasshi!!!! zashi!!!!

今週のR25のロングインタビューにレディオヘッドのトムヨークが出ているのをみて、ちょっと驚いた。

こんな日本のフリーペーパーの媒体にも応答しているという事実に。手にとって、中を見てみるとネットを通じてインタビューに応じているのがわかる。日本に行く手間(時間や往復の飛行機の燃料が与える環境負荷)を考えて、ネットでやるということになったらしい。トムヨークらしい。
ここで、最近個人的に気になった雑誌をいくつか挙げてみたい。

ひとつめはこのR-25。
フリーペーパーである点と、Yahooのトップページにも似た情報のポータル感。新聞や週刊誌未満の情報量で、かつそれらへ向かうインデックスとしてしっかり機能している気がする。薄さが携帯に便利。都内中心に展開。駅のフリーマガジンラックや、コンビニなどの一部店舗で手に入る。

ふたつめ、ゼクシィ。
最近、身内で読む人がいて(おめでたい)、はじめてその姿をちゃんと確認した。とんでもない厚さ。厚さに加えてその大きさでロンリープラネットを凌ぐボリューム感。結婚という高額商品のカタログともいえる雑誌。専門誌だが、業界誌ではない。一度チェックしたお気に入りには付箋を貼らなくてはとてもじゃないが、もう一度その情報には辿り着けない。あれで、広告収入も考えれば500円なのは高すぎるのではと思うぐらい。

みっつめ、エクス・ポ。
音楽批評家、佐々木敦氏主宰のヘッズが出版した新しい雑誌。16ページフルカラーによる圧縮編集。読みにくさよりも情報が載っているということの価値に重きを置いた雑誌。一般流通しておらず、直接ヘッズに問い合わせるか、取り扱っている数限られた店舗を探すかして購入する。
非常に読みにくいが、読んでみたい情報があるから手に取るという雑誌購買に対する一次欲求に即している気がする。どことなくだが、土つきの野菜を畑に併設された無人の産直売り場で買うような感じ。


よっつめに建築雑誌を挙げようと思うのだけど、もうじき今月号が届くはず。
ついたらまた書きたいと思う。

2008年1月6日日曜日

新年的記述

新年になりましたので、今年のブログ上での目標といいますか、ひとつ認めたいなと思います。


今年の目標は、

「景感」です。


何も今年のテーマというものでもないのですが、やはり「景」をどう自分が感じるのか?他人がどう感じるか?そこからもう一度自分の対象と自分との距離を考えたいという気持ちです。そして、この「景感」という言葉は、平良氏が手がけたた「造景」という言葉を掲げたからもインスパイアされています。今の僕に「景」を造るということをどれだけ考えれるかはわからないけれど、少なくともそこにある空間を「景」として何か語りたいという気持ちです。
そして、「景」という言葉には刻々と変わる今という時間概念もどうしてもそこにある気もしてなりません。そして、その裏にはさっきまであった「景」という過去があり、これからやってくる「景」としての未来もあるはずで、そこまで感じることができて、造景であったり、修景であったりできるのかなとも思います。ひとまず、今年はしっかりと自分の対象としての空間を「景」としてどう感じて、自分との距離をしっかり見極めたいと思います。方法はさまざまあると思うのでまた試行錯誤したいと思います。