先週末、タイ人の友人の結婚式に出るため、バンコクに行っていた。
こんな機会滅多にないと思い、だいぶ張り切ってた旅行になった。バンコクは通算で4回目ぐらいか。海外で最も滞在し、訪問している都市。行く度に発見があるのはどこも同じ。
気が向いたら、思い出し日記として、旅行記でも書こうかと思う。
今日は、午前中雑誌の連載の打合せ。最終回のキックオフMTG。ネタ出し。面白いネタもたくさんあり、次回MTGが楽しみ。午後はまるっと作業する。お土産で買ってきたタイ風プリッツ好評。
2008年3月31日月曜日
年度末
今日で、今年度が終わり、明日にはまた新年度になる。
ここ2年間、研究室でお世話になっていた自治体の担当の方々が、みな異動となり、担当課を離れられることになった。課長、主任、担当の方とみな、個性が強くて、バランスもとれていて、若輩者の生意気な感想だけれど、非常にいいチームだった。まるで、映画のキャストのようなチームだった。あの方々の並々ならない努力で仕事がまわっていると強く感じた。
行政は数年で部署の異動をしなくてはならない。このことの弊害や恩恵について、今ここで述べることはしないけれど、担当の方の「まだ遣り残したことがたくさんある」という言葉の残念そうなことと言ったらない。ここでいろいろ関わらせていただいた僕らはまだ今もここにいる。彼らの仕事をつなぐこと、前任者から新任者につなぐこと、これはまったく僕らの仕事ではないが、今もここで、その都市と向き合っている僕らがいて、その都市は今日もそこにあり、そこで生活している人たちもいる以上、何も終わっていないのだと思う。その部署の面々は変わっていくが、また次の仕事もあるわけで。
僕らもまだまだ終われることのない、現場を見つめているのだと思う。
短い2年間ですが、お疲れ様でした。
ここ2年間、研究室でお世話になっていた自治体の担当の方々が、みな異動となり、担当課を離れられることになった。課長、主任、担当の方とみな、個性が強くて、バランスもとれていて、若輩者の生意気な感想だけれど、非常にいいチームだった。まるで、映画のキャストのようなチームだった。あの方々の並々ならない努力で仕事がまわっていると強く感じた。
行政は数年で部署の異動をしなくてはならない。このことの弊害や恩恵について、今ここで述べることはしないけれど、担当の方の「まだ遣り残したことがたくさんある」という言葉の残念そうなことと言ったらない。ここでいろいろ関わらせていただいた僕らはまだ今もここにいる。彼らの仕事をつなぐこと、前任者から新任者につなぐこと、これはまったく僕らの仕事ではないが、今もここで、その都市と向き合っている僕らがいて、その都市は今日もそこにあり、そこで生活している人たちもいる以上、何も終わっていないのだと思う。その部署の面々は変わっていくが、また次の仕事もあるわけで。
僕らもまだまだ終われることのない、現場を見つめているのだと思う。
短い2年間ですが、お疲れ様でした。
2008年3月10日月曜日
焼野原と塔
今日は日中あちこち役所をまわって資料集めをしていた。
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。
ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。
63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。
ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。
63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?
2008年3月5日水曜日
ストリートに咲く笑いの花
先日、図書館までぶらぶらと歩いていた。
道すがら通りがかった児童館の前で子供らが鬼ごっこをしていたのだった。彼らは口々に小島よしおや藤崎マーケットのギャグを叫びながら駆け回る。ああ、ここにこそお笑いブームを実感として垣間見ることができるなと思った。確かにようつべやニコ動の閲覧数や、コメント数からも見える部分はあるし、ネット発の若手発掘が今や重要かつ旬な仕掛けとなっているのもわかる。ブームの仕掛けと広がりにネットがあったとしても、リアクションのボトムにはいつもストリートがある。街角に咲く「おっぱっぴー」になんかブームの持つ力を感じるのだった。
道すがら通りがかった児童館の前で子供らが鬼ごっこをしていたのだった。彼らは口々に小島よしおや藤崎マーケットのギャグを叫びながら駆け回る。ああ、ここにこそお笑いブームを実感として垣間見ることができるなと思った。確かにようつべやニコ動の閲覧数や、コメント数からも見える部分はあるし、ネット発の若手発掘が今や重要かつ旬な仕掛けとなっているのもわかる。ブームの仕掛けと広がりにネットがあったとしても、リアクションのボトムにはいつもストリートがある。街角に咲く「おっぱっぴー」になんかブームの持つ力を感じるのだった。
2008年2月26日火曜日
自分の声・自分の作法
最近、ポータブルレコーダーEDIROL R-09を入手して面白がって、いろいろなものを録音してまわっている。
マイクを通していろいろな音が録れて、デジタルデータ化される。
携帯して録音しているので、そこに録られた音は少なくとも自分も一度聞いているはずの音なのだが、やっぱり意識して聞いていない音がたくさんあって、発見がある。今プレイバックしているのは、先週の“S”の打ち合わせ。食事しながらの打ち合わせで店にかかっているBGMが打ち合わせ時にはまったく聞こえていなかったことがわかる。BGMが意識の向こうにあったということがよくわかる。
そして、自分の声。話し声。
何度となく聞いているが、改めて思ったよりも声が基本低いなぁと思うところがあるのと、抑揚がついてしゃべっている時には逆に思ったよりも高い音域までしゃべっているのがわかる。普段話しをしているときも自分の声を聞きながら話をしていて、自分の口調を意識しているとは思う。そこで自分の話したい話し方を、選び取ってコントロールして話をしていると思う。だが、発音された向こう側でそのフレージングがどう響いているか、どう聞こえているかというのは、内発された意識、自分の耳が聞いているものとは別なものだなぁと思う。
継続してしばらくこの機材で面白がって録音しまくるだろうと思う。
マイクを通していろいろな音が録れて、デジタルデータ化される。
携帯して録音しているので、そこに録られた音は少なくとも自分も一度聞いているはずの音なのだが、やっぱり意識して聞いていない音がたくさんあって、発見がある。今プレイバックしているのは、先週の“S”の打ち合わせ。食事しながらの打ち合わせで店にかかっているBGMが打ち合わせ時にはまったく聞こえていなかったことがわかる。BGMが意識の向こうにあったということがよくわかる。
そして、自分の声。話し声。
何度となく聞いているが、改めて思ったよりも声が基本低いなぁと思うところがあるのと、抑揚がついてしゃべっている時には逆に思ったよりも高い音域までしゃべっているのがわかる。普段話しをしているときも自分の声を聞きながら話をしていて、自分の口調を意識しているとは思う。そこで自分の話したい話し方を、選び取ってコントロールして話をしていると思う。だが、発音された向こう側でそのフレージングがどう響いているか、どう聞こえているかというのは、内発された意識、自分の耳が聞いているものとは別なものだなぁと思う。
継続してしばらくこの機材で面白がって録音しまくるだろうと思う。
2008年2月24日日曜日
ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』
ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』読了。
久し振りに、しっかりと小説を読んだ。
ある一人のインド系アメリカ移民の子が一風変わった名前を名づけられる。そんな家族の話。それ以上のことは何も起こらない。にも関わらず、描写のひとつひとつにとても感じ入るものが溢れていて、最後まで惹きつけて止まない。とてもいい小説だった。
時間が多くの人のそれぞれに共感されたり、されなかったりする中で、この小説は時間を積み上げるように淡々と描写している。人物を描写しつづけるということは、一方でこの時間を描写しつづけるということでもある。そして、これがなんとも鮮烈で、胸を焦がして夢中になって頁を繰った。
ふとこれまでの自分のわずかな人生の時間を積み上げられたものとして眺めてみる。何かが起こったようで、実際のところ何かが起きていただろうか?過去を眺めていても、見えるのは淡々とした世界とそれに透かして見える自分の周辺のことだけで、何か気づくにはまだまだ多くの時間を要するのかもしれない。
久し振りに、しっかりと小説を読んだ。
ある一人のインド系アメリカ移民の子が一風変わった名前を名づけられる。そんな家族の話。それ以上のことは何も起こらない。にも関わらず、描写のひとつひとつにとても感じ入るものが溢れていて、最後まで惹きつけて止まない。とてもいい小説だった。
時間が多くの人のそれぞれに共感されたり、されなかったりする中で、この小説は時間を積み上げるように淡々と描写している。人物を描写しつづけるということは、一方でこの時間を描写しつづけるということでもある。そして、これがなんとも鮮烈で、胸を焦がして夢中になって頁を繰った。
ふとこれまでの自分のわずかな人生の時間を積み上げられたものとして眺めてみる。何かが起こったようで、実際のところ何かが起きていただろうか?過去を眺めていても、見えるのは淡々とした世界とそれに透かして見える自分の周辺のことだけで、何か気づくにはまだまだ多くの時間を要するのかもしれない。
2008年2月19日火曜日
同窓会賞
今週末は、
学部、修士課程と在籍していた大学の都市計画専攻同窓会主催の優秀卒業論文賞選考会に出席してきた。
本選考会、実際の卒論発表会時に先生方によって、採点され選ばれた数本の論文を同窓会選考会で再度発表してもらい、学術的に優秀と認められたものからさらに同窓会として、優秀だというものを一本選ぶというもの。
今年度より学部生の部だけでなく、修士の部もあり、内容的に充実したものだった。
このような大学の専攻同窓会が論文コンペをするというのは、他に例があまりないらしく、縦のつながりを大事にしようという学科全体の流れによるもの。かく言う自分も数年前にこの選考会にノミネートされ、いろいろな質疑の中で先輩たちのコメントから多くののことを学んだというか感じたものだった。それは社会人目線であり、先輩目線であり、学生時代に感じていたものとその後の社会で感じていることのミーティングポイントとして機能している。
発表する学生の姿や、懐かしい先生方のコメントから、自分のいた学科の校風のようなものをしっかり見せつけられ、確かに自分もここで習ったのだなぁと実感。うちの学科はプレゼンに力が入った学科で、いかに自分が訴えたい問題がそこにあるかということ、それを自分の提案でいかに解決するかというところに力点が置かれていたのだったと改めて実感。それは今でも重要なスタンスだと思っている。自分も初心忘れず頑張ろう。
終ってからの懇親会では、当時僕が設計課題でTAをしていた学生たちが大学院に進学していたりと懐かしいことこのうえない。
学部、修士課程と在籍していた大学の都市計画専攻同窓会主催の優秀卒業論文賞選考会に出席してきた。
本選考会、実際の卒論発表会時に先生方によって、採点され選ばれた数本の論文を同窓会選考会で再度発表してもらい、学術的に優秀と認められたものからさらに同窓会として、優秀だというものを一本選ぶというもの。
今年度より学部生の部だけでなく、修士の部もあり、内容的に充実したものだった。
このような大学の専攻同窓会が論文コンペをするというのは、他に例があまりないらしく、縦のつながりを大事にしようという学科全体の流れによるもの。かく言う自分も数年前にこの選考会にノミネートされ、いろいろな質疑の中で先輩たちのコメントから多くののことを学んだというか感じたものだった。それは社会人目線であり、先輩目線であり、学生時代に感じていたものとその後の社会で感じていることのミーティングポイントとして機能している。
発表する学生の姿や、懐かしい先生方のコメントから、自分のいた学科の校風のようなものをしっかり見せつけられ、確かに自分もここで習ったのだなぁと実感。うちの学科はプレゼンに力が入った学科で、いかに自分が訴えたい問題がそこにあるかということ、それを自分の提案でいかに解決するかというところに力点が置かれていたのだったと改めて実感。それは今でも重要なスタンスだと思っている。自分も初心忘れず頑張ろう。
終ってからの懇親会では、当時僕が設計課題でTAをしていた学生たちが大学院に進学していたりと懐かしいことこのうえない。
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