今日は一日ルーチンワークだった。
膨大なデータが目の前にあるので、これを整理するだけでしばらく時間が取られてしまいそう。ルーチンは誰かに任せればいいのだけれど、こういうところから拾い出せる発見にまだまだ賭けているところがあるので、結局自分でやることになる。道のりは長いが全然嫌ではないので、まだまだ頑張る。
今日帰りがけに浅野いにおの「おやすみプンプン」2巻を買って電車内で読了。本巻も圧倒的。もうじき次が出るらしい。p182-3の見開きがすごい。思わず震える、三鷹駅。
2008年5月23日金曜日
2008年5月21日水曜日
「思い出」のやりとり
今日は、今年度に始まった自主プロジェクトの打ち合わせ。景観を体験として共有するというようなことがテーマ。
3人でアイディアを出しながら議論をしていく感じなので、モノが生まれてくるような面白さがある。久し振りにいい議論ができていると思う。
今日の議論の断片をいくつか。
・「思い出」は相続できない
・長期的時間の中に「思い出」が生まれ、短期的時間の中に「経験・体験」が生じる
・ジェスチャーとしての空間認知のあり方
・「思い出」と「歴史」の関係
体験というキーワードから始まり、時間の中でそれがどう行われるか、考えているときに僕が普段音楽やっている中で考えている「時間をどう捉えるか」というテーマに一気に近接していき、個人的には盛り上がった。
以前、ドラムソロやフリーインプロの方法論として、ごくごく個人的であるという自由さについて考えていたことがあって、その時のテーマも「思い出」だった。個人の領域としての「思い出」の再現とコラージュによって、たしか楽曲の形を作ろうとしていたのだと思う。それが実際どれくらい成功していたかはもう思い出したくもないけれど。フリーインプロみたいなことをやりはじめたときに、頭の中がちがちにして、自由であるということと、自分にしかできないことみたいな牙城に篭りきるために、「思い出」から始めようという、もう前衛なんだか、保守なんだか。頭の硬いをことを考えていたこともあったなぁと。
思う。ただ、今でも思うことは、個人の不可侵な領域としての「思い出」と個人の「ボキャブラリー」というのはすごく近接していて、とても大事な問題だろうということだ。それありきで、会話が成立しているわけで、これから脱却することはできない。場面に応じて、「思い出」の再統合をして、表出させているのだろうと思う。ひらめきだけで、100m走り切れることってそうそうないことだろう。
で、もう一方で実は忘れるっていうこともすごい大事だと思っているが、それはまた今度(「思い出」の話ももっとちゃんと整理して書きたい)。
3人でアイディアを出しながら議論をしていく感じなので、モノが生まれてくるような面白さがある。久し振りにいい議論ができていると思う。
今日の議論の断片をいくつか。
・「思い出」は相続できない
・長期的時間の中に「思い出」が生まれ、短期的時間の中に「経験・体験」が生じる
・ジェスチャーとしての空間認知のあり方
・「思い出」と「歴史」の関係
体験というキーワードから始まり、時間の中でそれがどう行われるか、考えているときに僕が普段音楽やっている中で考えている「時間をどう捉えるか」というテーマに一気に近接していき、個人的には盛り上がった。
以前、ドラムソロやフリーインプロの方法論として、ごくごく個人的であるという自由さについて考えていたことがあって、その時のテーマも「思い出」だった。個人の領域としての「思い出」の再現とコラージュによって、たしか楽曲の形を作ろうとしていたのだと思う。それが実際どれくらい成功していたかはもう思い出したくもないけれど。フリーインプロみたいなことをやりはじめたときに、頭の中がちがちにして、自由であるということと、自分にしかできないことみたいな牙城に篭りきるために、「思い出」から始めようという、もう前衛なんだか、保守なんだか。頭の硬いをことを考えていたこともあったなぁと。
思う。ただ、今でも思うことは、個人の不可侵な領域としての「思い出」と個人の「ボキャブラリー」というのはすごく近接していて、とても大事な問題だろうということだ。それありきで、会話が成立しているわけで、これから脱却することはできない。場面に応じて、「思い出」の再統合をして、表出させているのだろうと思う。ひらめきだけで、100m走り切れることってそうそうないことだろう。
で、もう一方で実は忘れるっていうこともすごい大事だと思っているが、それはまた今度(「思い出」の話ももっとちゃんと整理して書きたい)。
2008年5月20日火曜日
思い出し日記:バンコクの街角、エラワンシュライン
バンコクの中心部は、BTSというスカイトレインが走っていて、これがずっと上を走っている大通りをスクンビット通り(確か西側は名前が変わったと思う)という。バンコクは以前から、朝夕の渋滞が激しく、まさに待望のスカイトレインであった。スカイトレインが開通したのは、僕がはじめてバンコクに来た時よりも前であったから、それ以前のスクンビット通りを僕は知らない。多くの車、バイク、トゥクトゥクで、前になかなか進めず、クラクションけたたましい、そんな光景だったのだろうと思う。しかし、想像するに想像しているそれは、今の光景と大して変わらない。
この大通り、中心部に相応しく、サイアムという商業、業務の中心地を貫通する重要な通りで、周囲の建物はデパート、ホテルや銀行が立ち並んでいる。上部に高架がある感じからして、今の東京の六本木っぽい雰囲気とも言えるが、位置づけ的には銀座や丸の内という感じか。
このスクンビット通り沿い、2本のBTSがクロスする大きな交差点がある。それが、この写真。エラワンシュラインという、仏教の祈祷スペースというかオープンエアの寺(お坊さんがいないところを見ると、仏教モニュメント的体裁)である。
大きく街区の隅を切られた交差点の向かいに視線を向けると、僕らのよく知るルイヴィトンがデパートの角に鎮座している。ここは商業の中心地であり、と同時に宗教モニュメントも存在しているのだ。エラワンシュラインのあるこちら側は、人々が集う祈りの空間(ルイヴィトンも資本主義に祈りを捧げている人々が集まっていると思うが)になっている。そして、線香の煙はビルの照明を霞ませ、高架鉄道は上空を疾走する景色が展開している。
元来、東京と共通のアジア的な何かを内在させた都市として、僕はバンコクを意識している。違うことは知っている。でも、何か東京の延長上で出かけていける街なのだ。今回も、暑いは暑いけれど、東京で何か新しい発見をするようにバンコクを歩いていた僕はいきなりガツンとパンチをもらうことになった。
バンコクにパンチ食らった僕は線香の煙と、熱帯の熱の中に佇む。人々は花輪を祭壇にかけて、祈る。後方では、木琴と銅鑼、鐘が鳴り、歌と踊りが披露される。そこでも祈る人、それを裁く人、踊り、奏でる人。祈り終わった人、これから祈る人。祈る人に何かを売ろうとする人。僕と同じでそれを眺めているだけの人。
ヴィトンのウィンドウのガラスパタンのモアレに目が眩むより先に、線香の煙が、涙目の都市景観を僕に拝ませ、背中を汗が滴り落ちる。
2008年5月19日月曜日
2008年3月31日月曜日
年度末
今日で、今年度が終わり、明日にはまた新年度になる。
ここ2年間、研究室でお世話になっていた自治体の担当の方々が、みな異動となり、担当課を離れられることになった。課長、主任、担当の方とみな、個性が強くて、バランスもとれていて、若輩者の生意気な感想だけれど、非常にいいチームだった。まるで、映画のキャストのようなチームだった。あの方々の並々ならない努力で仕事がまわっていると強く感じた。
行政は数年で部署の異動をしなくてはならない。このことの弊害や恩恵について、今ここで述べることはしないけれど、担当の方の「まだ遣り残したことがたくさんある」という言葉の残念そうなことと言ったらない。ここでいろいろ関わらせていただいた僕らはまだ今もここにいる。彼らの仕事をつなぐこと、前任者から新任者につなぐこと、これはまったく僕らの仕事ではないが、今もここで、その都市と向き合っている僕らがいて、その都市は今日もそこにあり、そこで生活している人たちもいる以上、何も終わっていないのだと思う。その部署の面々は変わっていくが、また次の仕事もあるわけで。
僕らもまだまだ終われることのない、現場を見つめているのだと思う。
短い2年間ですが、お疲れ様でした。
ここ2年間、研究室でお世話になっていた自治体の担当の方々が、みな異動となり、担当課を離れられることになった。課長、主任、担当の方とみな、個性が強くて、バランスもとれていて、若輩者の生意気な感想だけれど、非常にいいチームだった。まるで、映画のキャストのようなチームだった。あの方々の並々ならない努力で仕事がまわっていると強く感じた。
行政は数年で部署の異動をしなくてはならない。このことの弊害や恩恵について、今ここで述べることはしないけれど、担当の方の「まだ遣り残したことがたくさんある」という言葉の残念そうなことと言ったらない。ここでいろいろ関わらせていただいた僕らはまだ今もここにいる。彼らの仕事をつなぐこと、前任者から新任者につなぐこと、これはまったく僕らの仕事ではないが、今もここで、その都市と向き合っている僕らがいて、その都市は今日もそこにあり、そこで生活している人たちもいる以上、何も終わっていないのだと思う。その部署の面々は変わっていくが、また次の仕事もあるわけで。
僕らもまだまだ終われることのない、現場を見つめているのだと思う。
短い2年間ですが、お疲れ様でした。
2008年3月10日月曜日
焼野原と塔
今日は日中あちこち役所をまわって資料集めをしていた。
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。
ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。
63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。
ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。
63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?
2008年3月5日水曜日
ストリートに咲く笑いの花
先日、図書館までぶらぶらと歩いていた。
道すがら通りがかった児童館の前で子供らが鬼ごっこをしていたのだった。彼らは口々に小島よしおや藤崎マーケットのギャグを叫びながら駆け回る。ああ、ここにこそお笑いブームを実感として垣間見ることができるなと思った。確かにようつべやニコ動の閲覧数や、コメント数からも見える部分はあるし、ネット発の若手発掘が今や重要かつ旬な仕掛けとなっているのもわかる。ブームの仕掛けと広がりにネットがあったとしても、リアクションのボトムにはいつもストリートがある。街角に咲く「おっぱっぴー」になんかブームの持つ力を感じるのだった。
道すがら通りがかった児童館の前で子供らが鬼ごっこをしていたのだった。彼らは口々に小島よしおや藤崎マーケットのギャグを叫びながら駆け回る。ああ、ここにこそお笑いブームを実感として垣間見ることができるなと思った。確かにようつべやニコ動の閲覧数や、コメント数からも見える部分はあるし、ネット発の若手発掘が今や重要かつ旬な仕掛けとなっているのもわかる。ブームの仕掛けと広がりにネットがあったとしても、リアクションのボトムにはいつもストリートがある。街角に咲く「おっぱっぴー」になんかブームの持つ力を感じるのだった。
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