2007年11月30日金曜日

夜明け

あまりいい趣味ではないと思うけど以前書いた日記を読み返している。意外と忘れてしまっていることだらけだが、それを一文字一文字読んでいくとすぐにそれを書いたときの心持が蘇り、その時の情景が脳裏に一瞬で戻ってくる。
今日、頁を繰ったのは2003年の秋頃、カンボジアでの日記だった。そこで、僕はシェムリアップにあるアキーラー氏の地雷博物館に行く。熱帯林に隣り合った館内には、これまでにアキーラー氏によって信管を抜かれ撤去された夥しい数の地雷が展示されていた(展示というか実際は高く積み上げられていたという方がふさわしいかもしれない)。そして、それらと並んで一角の小さな机には、売上がチャリティーとして地雷撤去に使われる写真集が売られていた。内容はアンコールワットなどカンボジアの風景の写真だ。その中のあるワンカットで僕の頁をめくる手が止まる。確かそれは暗闇の中、アンコールワットのシルエットの向こうから朝日が昇ってくるところを収めた写真だった。画面は全体的に黒というか闇の只中にあり、アンコールは輪郭のみが朝日に縁取られて、その表情はほとんどわからない。この写真にはコメントが脇に小さく申し訳程度に記されていた。

「夜明け」

この小さい白い字を読んだときに僕は手を指を動かすことができなかったのだ。この真っ黒な画面の向こうで小さな光が昇ってこようとしている。しかし、依然として、まだここは夜なのだ。闇の中なのだ。僕は今までに何度でも夜が明けるのを待ち望んでいたし、実際明けなかった夜はなかったのだ。そんなこと自明のことだ。しかし、「自明」。自らが明るい、この「夜明け」?
明るいか?
いや、全く明るくない。まだ、暗いのだ。
僕はこの時まで、夜明けについて明けていくことしか考えたことがなかった。まだ明けてきっていない。闇に覆われた底の底で、夜明けを背にした見えないアンコールワットの表情。どこまでも静かだ。
そして今、またこの時間、表情の見えない向こうを窺いながら、僕は夜が明けるのを待っている。

2007年11月29日木曜日

思い出し日記

これもまたある朝のこと。
それは、中央線の快速電車が、中野を出発して、新宿へ向かう途中だった。西からずっと直線で来ていた線路がちょうど弧を描き始める頃だったから大久保に向かう東中野あたりだったのだろう。僕は中野で椅子に座ることが出来、森山大道の「犬の記憶 終章」を読みながら写真のこと、森山のこと、僕の数少ないカメラマンの知り合いの山口さんのことなどを思いながら、南を向いて最後尾の車両の7人掛けに座っていた。
次の瞬間、がたんというレールの継ぎ目の音に気をとられたような気がして、本から顔を上げると、左頬に冬がはじまったばかりの日差しがあたっているのを感じた。その光を僕は眼の奥に入れると、少しやわらかくて直射の日光が決して眼球の奥を指しているわけではないことを知った。ほんの一瞬だった。やや埃の舞った車内で、光がぼんやりと春にはない明かるさでもって、窓ガラスに反射し、向こう側に新宿の影が見えた。静かな一瞬だった。レールとレールの継ぎ目をまたぐ音がその時だけはしていなかったように感じる。
あっと思い、まだその流れている時間を僕はその時間が立ち去るまでの時間を強く意識して感じていた。彗星が流れるよりは長い時間だ、まだ大丈夫だと思い、カメラが手元にないことを、地球を光が一周するぐらいのスピードだけ呪い、残りの時間はこの時間を忘れないようにと、その光が立ち去るまでは感じてそこに首を傾けて、シートに座っていた。その時間は確かに短かった。気が付いたら、日光は直射で僕の眼を刺し、影だった新宿は大きくなって、歌舞伎町、靖国通り、東口、アルタをプロジェクションしていく。
僕にはまだ撮れない写真が多く存在する。

2007年11月26日月曜日

ある日の電車のおじいさん

もう少し前の話。その日は少し暖かい、少なくとも電車内は暖かい日差しがさしていた。その電車で隣に座ってきたおじいさんはグレーのジャケットに藍色の縦のストライプが入ったシャツに黄色が少し光って見えるネクタイをして、茶色っぽい赤のハンティングを被っていた。おもむろに開く文庫本は村上春樹の海辺のカフカだった。横に座って、おじいさんが読んでいるところを盗み見していた。まだそれは読み始めたばかりでナカタさんが猫と話をしている最中だったような気がする。おじいさんは電車の中で10ページも読めなかったと思う。ゆっくりページを繰っていた。僕達は同じ駅で電車を降りた。その駅は御茶ノ水だった。御茶ノ水に着く手前、水道橋を過ぎたあたりでおじいさんは老眼鏡を外そうとして、手元がくるったのか、膝の上にめがねを落とした。僕はあっと思ったけど、手も声も出ずに自分の読んでいた本にも集中できずにおじいさんを見ていた。どうか、おじいさんが海辺をカフカを読み終わるまで健やかでありますように。たとえ、それが何回目かの海辺のカフカであったとしても。