今日は日中あちこち役所をまわって資料集めをしていた。
東京を西側から半時計回りに渋谷、蒲田、品川、芝といったルートで電車を乗り継いで雨の切れ間を縫っていた。
ちなみに今日は東京大空襲から63年。
63年前の今日、日付がちょうど変わった頃、325機のB-29爆撃機の爆撃によって、死亡・行方不明者10万人、市街地3分の1にあたる41万k㎡を焼失した。今の東京に戦災の面影など表立っては全く見えない。景観はこの半世紀で大きく変わり、復興というプロセスがあったことすら、感じ難いかもしれない。今日はそんな都会をぐるぐる巡ってはぼーっと、物思いにふけっていた。
電車を乗り継ぎ、芝に着くと江戸から続く増上寺がその門構えぐるりと巡った高い塀、塀の向こうには広大な敷地にたたえた緑で威容を放っている。そして、背後には赤くそびえる東京タワーとMの字輝く愛宕ヒルズ。戦後東京はマンハッタニズムよろしく、空をもとめて垂直に延びている。横に広がる増上寺と縦にのびる近代建築。東京湾側からの眺めは地形も手伝って、なんとも鮮烈なコントラストが効いている。
ちなみに、この高層化への上昇指向は近代以降のものではないらしい。昨日なにげなく見ていたのでうろ覚えだが、TBSの世界遺産が新羅時代の史跡、慶州歴史地域を取り上げていた。当時朝鮮半島は三国が三つどもえの乱世の最中で、初の女王善徳はこの災厄から国を救うべく寺を建立し、そのガランの中央に九重塔を建てる。この九には強い吉兆を願う意味が込められており、建てられた塔は高さ80mに達し、当時世界中で類を見ない当時の「超高層」の木造建造物であったという。
63年前に東京はアメリカ軍の爆撃で市街地は一面火の海となり、灰塵に帰した東京が目覚ましい復興を遂げたことはもう既に述べた。今、僕の眼に映る風景は、新羅の女王善徳が災厄から国を救おうとした、九重の塔だろうか。当時の戦災を生き抜いた人々の復興への足跡を辿っている自分は、彼らが見ることのなかった今の都市風景に何を思い、何を語れるだろうか?
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