2009年1月29日木曜日

その都市のその場所のその時間

先日、移動中に地下鉄の構内のフリーマガジンのラックから一冊のフリーマガジンを手に取った。東京の地下鉄は、これでもかというぐらいの多種多様な情報小冊子で溢れているが、その雑誌もその一つ。どこかの不動産屋と広告屋が出していたものだったと思う。
今手元にもはやないので、そのマガジンのタイトルも憶えていない(ビラのことをフライヤーとはよく言ったものだ)。記憶を辿ると、「銀座なんとか」だったと思う。そう、銀座に特化したフリーマガジンだった。エディトリアルはいたって普通なのだが、銀座のいろいろな店にいろいろなシチュエーションで出かけていった人を想定したような感じで、○時の××のお店にいったビジネスマンといった形でお店を紹介する。最初が朝7時のヨガスタジオと、論語素読の喫茶店だったので、少し、「おっ」と思ってなかを見る。テーラー氏のインタヴューがあり、好きな銀座の時間はまだ誰もお客の来ていない朝、街が動き出す前の中央通りが好きだと言っていた。その雑誌はある種の広告媒体であるから、都市の中の時間を語る舞台となる空間はもちろんどこかの店なのはしょうがないが、都市の中のある場所には、常に附随する印象が空間を祝福する時間がある。毎日やってくる24時間1440分の内、その時間、瞬間にならないとその空間は場所の扉を開かない。テーラー氏の銀座の中央通りの扉はまだ薄暗い直線がほんのり青にそまった静かの朝にそっと開くのだ。そう思うと、僕らは普段の大好きな都市のある場所にあっても、知らないまだ開かれていない扉がたくさんあるような気がしてならない。

2009年1月28日水曜日

旧正月もやってきて

太陽も太陰もめでたく年が明け、ざっとここ最近を記録程度に順不同で振り返ると、研究室の新年会、新宿での打合せ、世田谷ボロ市に出かけ、建築学会のシンポジウムに参加してみたり、都で調査、神楽坂で勉強会に出たり、関西でギャラリー勤めの友人がこっちで仕事があるのにかこつけて、アイスバインと麦酒をしこたまやって、研究室のOBGの皆様とベルギー麦酒をやったり、建築のTAは今月でひと段落し、修論の相談に乗ったりと、それなりにいろいろなことが動き出し、日々英気を養いつつ、事を運んでいる感じ。今年はもう少しブログでログをとることにしようかと思う。雑多で扱いきれないこと覚悟で。

写真日和

なんとも写真写真していた週末。

恵比寿の写真美で「ランドスケープ 柴田敏雄展」を見て、コンパクトデジカメをいよいよ買い替えた。だいぶ悩んだが、これまで使っていたLUMIXで出来たことをパフォーマンスアップするというラインでリコーR10にする。これまでのコンデジで出来ないことをやるには、後日一眼を買う以外にないという判断で、GR、GX系はやめた。まだほとんで触れていないが、感触は上々。値段もかなり安くなっていた。汎用機としては全然充分。
ついで帰りに本屋で木村伊兵衛の本を買う。当時の情報がたくさん詰まった貴重なカットの数々。当時の写真を見ていると、状況記録として撮られているものの中にそれ以上の何かが、逆に淡々と撮られている様に感じる。

前述の写真展。
個人的にはかなり満足。山間の土留めのコンクリート塊の物質量が画面いっぱいに情報として出てくる。麓から山を眺めるとき、山の威容にはいつも圧倒される。それとは微妙にずれてた位置にあるコンクリート塊。山を飲み込むでもなく、コンクリートは斜面に沿って、山に深く刺さって、表面が洗われて居る。山の斜面をどこからか眺めて撮られたカットは、山の斜面をさらに斜めにカット割りされていて、複雑なパースをもたらし、どことなく上下の平衡感覚が失われる。足がぐらつく巨大な画面構成の前に僕は気がつく。僕は今直立して、この写真を見ており、この写真は直立した壁にかけられた写真なのだということに。

2009年1月20日火曜日

寒風美函

今月前半は2つ展示に出かけた。

ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。

ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。

2009年1月14日水曜日

北風は、連れ去った

昨日、自分の家の向かいに住むおばあさんが亡くなり、告別式へ参列した。

このおばあさんは、近所で最も気さくに声をかけてくれる人で、実家へ出戻ってきてからというもの、よくよく会話をしたり、何かしら家の冷蔵庫から持たせてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。
そして、彼女は僕の子どもの頃のことをよく知っている人で、彼女にとっての僕とは子ども時のイメージが最も強く、いつまで経っても彼女にとっては僕は坊やであり、こうして亡くなる直前までかわいがってもらっていた。
彼女は家の前で僕を見かけると、いつも挨拶してくれ、そして、僕の全く憶えていない子どもの頃の僕の様子を聞かせてくれた。それはまるで、記憶喪失者のリハビリのようで、自分の知らない宝が僕の中に眠っているのをひとつひとつ掘り起こしてくれるようで、なんともこそばゆいものだった。

知らない自分を知っている。
などと大それたものではないけれど、僕が思い出せない僕の幼少期の記憶、歴史は少なくとも彼女の記憶の断片にはしっかりと刻まれていたのだ。もちろん、今は彼女がいなくなってしまった悲しみと寂しさの只中に自分はいるけれど、同時にもう二度と甦ってこないやもしれない自分の過去、彼女との関係の中にあった幸せの中で過ぎていった時間もまた、沈んでいってしまったような気がする。大人になっていくということ。それは今の自分を知ることになる多くの人と知り合い、自分の原点を知る人はどんどんといなくなっていってしまうという当たり前の事実を前に言葉が出ない。この数年間僕は彼女と会話することで、僕は生まれ育った街で、自分の原点的な何かをもう一度見つめなおしていたのだ。その機会を彼女はその優しさを湛えた笑みと共に僕に与えてくれていたのだ。


今年の正月。
つい1週間半前のことだ。彼女はまだ向かいのうちに自分で挨拶に来てくれるほど、元気だった。それが、ちょっと冬が一瞬本気を見せて、北風を吹かせた途端に彼女を浄土へと連れ去ってしまった。今日も街を冷たい風が吹きさらしていた。

2009年1月7日水曜日

物質と痕跡

自分へのお年玉代わりというわけではないけれど、ちょうど手頃な値段で古本屋に河口龍夫作品集が出ていて早速注文。久しぶりにゆっくりと河口作品を堪能。

去年、近作を展示で見て、気持ちが揺さぶられていたのとは違う感動を初期から中期の作品に感じる。ある物質に残された意図的とも意図的でないとも言える夥しい痕跡の数々。例えとして正しいとは思わないが、はじめて原爆ドームに残された人の影を見たときの言葉に出来ない感覚に近い揺さぶり(決して同じ感覚ではない)が、そこにはある。
生々しい痕跡。暖かくもそこに存在していた何かという、根本的なこちらに訴えかける何か。

痕跡。

このキーワードについては考えたいことがたくさんある気がする。作品をつくるということ。宙に消えない何かが生まれるということ。作品(のようなものも含めて)をどのように呼ぶかは別にして必ず生じる痕跡。そのままにしておけば、時間の流れは痕跡を消し去ることもある。それを風化とも呼ぶ。風化すらも、風が時間の流れの中に爪あとを残し、其の前にあったもの別な形に変えるということだ。

果たして僕は痕跡とどう付き合っているかなどと答えも出さずに自問する。

2009年1月6日火曜日

明けましておめでとうございます




本年もよろしくお願いいたします。