なんとも写真写真していた週末。
恵比寿の写真美で「ランドスケープ 柴田敏雄展」を見て、コンパクトデジカメをいよいよ買い替えた。だいぶ悩んだが、これまで使っていたLUMIXで出来たことをパフォーマンスアップするというラインでリコーR10にする。これまでのコンデジで出来ないことをやるには、後日一眼を買う以外にないという判断で、GR、GX系はやめた。まだほとんで触れていないが、感触は上々。値段もかなり安くなっていた。汎用機としては全然充分。
ついで帰りに本屋で木村伊兵衛の本を買う。当時の情報がたくさん詰まった貴重なカットの数々。当時の写真を見ていると、状況記録として撮られているものの中にそれ以上の何かが、逆に淡々と撮られている様に感じる。
前述の写真展。
個人的にはかなり満足。山間の土留めのコンクリート塊の物質量が画面いっぱいに情報として出てくる。麓から山を眺めるとき、山の威容にはいつも圧倒される。それとは微妙にずれてた位置にあるコンクリート塊。山を飲み込むでもなく、コンクリートは斜面に沿って、山に深く刺さって、表面が洗われて居る。山の斜面をどこからか眺めて撮られたカットは、山の斜面をさらに斜めにカット割りされていて、複雑なパースをもたらし、どことなく上下の平衡感覚が失われる。足がぐらつく巨大な画面構成の前に僕は気がつく。僕は今直立して、この写真を見ており、この写真は直立した壁にかけられた写真なのだということに。
2009年1月20日火曜日
寒風美函
今月前半は2つ展示に出かけた。
ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。
ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。
ひとつは埼玉県立近代美、「都市を創る建築への挑戦―組織設計のデザインと技術―」
休日ということもあって、実際組織事務所に勤めている親かな?という人が子どもを連れてきていたりして、自分の子どものころと何かだぶるものがあった。が、展示は各事務所のブースが並んでいる配置になっていて、メッセか何か来てしまったかのようだった。それぞれの事務所のカラーの違いはよくわかったけれど、そこまでという感じで、やや消化不良。個人事務所やアトリエが絶対に真似できないような自社の技術をしっかりアピールできていた事務所の展示の方が概ね成功している印象。
ふたつめ。21_21 Design Sightにて、セカンドネイチャー展。
サウンドデザインしたKUJUNの音楽がとてもよい。聞こえる。鳴る。響く。ということが、空間体験にぴったりと寄り添っていた。全く過剰でなく、でも、無音ではないということ。
吉岡徳仁の作品がメインであるが、それ以外の作者の作品との関連、バランスもよかった。個人的に気に入ったのは、カンパナ・ブラザーズ、安部典子の作品。自然と作品をどの距離で対峙するか、最終的にある人が作ったという、力みたいなものを僕はこの二人の作品から感じた。
2009年1月14日水曜日
北風は、連れ去った
昨日、自分の家の向かいに住むおばあさんが亡くなり、告別式へ参列した。
このおばあさんは、近所で最も気さくに声をかけてくれる人で、実家へ出戻ってきてからというもの、よくよく会話をしたり、何かしら家の冷蔵庫から持たせてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。
そして、彼女は僕の子どもの頃のことをよく知っている人で、彼女にとっての僕とは子ども時のイメージが最も強く、いつまで経っても彼女にとっては僕は坊やであり、こうして亡くなる直前までかわいがってもらっていた。
彼女は家の前で僕を見かけると、いつも挨拶してくれ、そして、僕の全く憶えていない子どもの頃の僕の様子を聞かせてくれた。それはまるで、記憶喪失者のリハビリのようで、自分の知らない宝が僕の中に眠っているのをひとつひとつ掘り起こしてくれるようで、なんともこそばゆいものだった。
知らない自分を知っている。
などと大それたものではないけれど、僕が思い出せない僕の幼少期の記憶、歴史は少なくとも彼女の記憶の断片にはしっかりと刻まれていたのだ。もちろん、今は彼女がいなくなってしまった悲しみと寂しさの只中に自分はいるけれど、同時にもう二度と甦ってこないやもしれない自分の過去、彼女との関係の中にあった幸せの中で過ぎていった時間もまた、沈んでいってしまったような気がする。大人になっていくということ。それは今の自分を知ることになる多くの人と知り合い、自分の原点を知る人はどんどんといなくなっていってしまうという当たり前の事実を前に言葉が出ない。この数年間僕は彼女と会話することで、僕は生まれ育った街で、自分の原点的な何かをもう一度見つめなおしていたのだ。その機会を彼女はその優しさを湛えた笑みと共に僕に与えてくれていたのだ。
今年の正月。
つい1週間半前のことだ。彼女はまだ向かいのうちに自分で挨拶に来てくれるほど、元気だった。それが、ちょっと冬が一瞬本気を見せて、北風を吹かせた途端に彼女を浄土へと連れ去ってしまった。今日も街を冷たい風が吹きさらしていた。
このおばあさんは、近所で最も気さくに声をかけてくれる人で、実家へ出戻ってきてからというもの、よくよく会話をしたり、何かしら家の冷蔵庫から持たせてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。
そして、彼女は僕の子どもの頃のことをよく知っている人で、彼女にとっての僕とは子ども時のイメージが最も強く、いつまで経っても彼女にとっては僕は坊やであり、こうして亡くなる直前までかわいがってもらっていた。
彼女は家の前で僕を見かけると、いつも挨拶してくれ、そして、僕の全く憶えていない子どもの頃の僕の様子を聞かせてくれた。それはまるで、記憶喪失者のリハビリのようで、自分の知らない宝が僕の中に眠っているのをひとつひとつ掘り起こしてくれるようで、なんともこそばゆいものだった。
知らない自分を知っている。
などと大それたものではないけれど、僕が思い出せない僕の幼少期の記憶、歴史は少なくとも彼女の記憶の断片にはしっかりと刻まれていたのだ。もちろん、今は彼女がいなくなってしまった悲しみと寂しさの只中に自分はいるけれど、同時にもう二度と甦ってこないやもしれない自分の過去、彼女との関係の中にあった幸せの中で過ぎていった時間もまた、沈んでいってしまったような気がする。大人になっていくということ。それは今の自分を知ることになる多くの人と知り合い、自分の原点を知る人はどんどんといなくなっていってしまうという当たり前の事実を前に言葉が出ない。この数年間僕は彼女と会話することで、僕は生まれ育った街で、自分の原点的な何かをもう一度見つめなおしていたのだ。その機会を彼女はその優しさを湛えた笑みと共に僕に与えてくれていたのだ。
今年の正月。
つい1週間半前のことだ。彼女はまだ向かいのうちに自分で挨拶に来てくれるほど、元気だった。それが、ちょっと冬が一瞬本気を見せて、北風を吹かせた途端に彼女を浄土へと連れ去ってしまった。今日も街を冷たい風が吹きさらしていた。
2009年1月7日水曜日
物質と痕跡
自分へのお年玉代わりというわけではないけれど、ちょうど手頃な値段で古本屋に河口龍夫作品集が出ていて早速注文。久しぶりにゆっくりと河口作品を堪能。
去年、近作を展示で見て、気持ちが揺さぶられていたのとは違う感動を初期から中期の作品に感じる。ある物質に残された意図的とも意図的でないとも言える夥しい痕跡の数々。例えとして正しいとは思わないが、はじめて原爆ドームに残された人の影を見たときの言葉に出来ない感覚に近い揺さぶり(決して同じ感覚ではない)が、そこにはある。
生々しい痕跡。暖かくもそこに存在していた何かという、根本的なこちらに訴えかける何か。
痕跡。
このキーワードについては考えたいことがたくさんある気がする。作品をつくるということ。宙に消えない何かが生まれるということ。作品(のようなものも含めて)をどのように呼ぶかは別にして必ず生じる痕跡。そのままにしておけば、時間の流れは痕跡を消し去ることもある。それを風化とも呼ぶ。風化すらも、風が時間の流れの中に爪あとを残し、其の前にあったもの別な形に変えるということだ。
果たして僕は痕跡とどう付き合っているかなどと答えも出さずに自問する。
去年、近作を展示で見て、気持ちが揺さぶられていたのとは違う感動を初期から中期の作品に感じる。ある物質に残された意図的とも意図的でないとも言える夥しい痕跡の数々。例えとして正しいとは思わないが、はじめて原爆ドームに残された人の影を見たときの言葉に出来ない感覚に近い揺さぶり(決して同じ感覚ではない)が、そこにはある。
生々しい痕跡。暖かくもそこに存在していた何かという、根本的なこちらに訴えかける何か。
痕跡。
このキーワードについては考えたいことがたくさんある気がする。作品をつくるということ。宙に消えない何かが生まれるということ。作品(のようなものも含めて)をどのように呼ぶかは別にして必ず生じる痕跡。そのままにしておけば、時間の流れは痕跡を消し去ることもある。それを風化とも呼ぶ。風化すらも、風が時間の流れの中に爪あとを残し、其の前にあったもの別な形に変えるということだ。
果たして僕は痕跡とどう付き合っているかなどと答えも出さずに自問する。
2009年1月6日火曜日
2008年12月16日火曜日
結局ジョアンは来なかった。
先週、待ち望んでいたジョアンジルベルトの来日公演は、中止となった。
これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。
これも何かのお告げやもしれぬと思い、ジョアンに思いを馳せつつ、有楽町で電車を降り、この日は数ヶ月ぶりに銀ブラすることに。たまたまなのだが、今年僕の一部の知り合いで盛り上がった南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を読みつつ、銀座に向かう。ジャズをやったことのある者、いわゆるハコで演奏をしたことのある者なら、ここに書かれているエピソードと通底するシンパシーは何かしら得られるのではないだろうか。そして、そんな自分の体験よりもより純度の高い強烈な体験こそがそこに込められていて、熱くなる。雨上がりの冷たい有楽町から、銀座へ向かうとき、そんな20年前の空気を網膜の向こう側で想像しながら歩いた。
今日のそぞろ歩きは、エルメスのギャラリーで、フランス人作家アラン・セシャスの展示、資生堂では、写真家津田直の展示を見る。どちらもかなりよかった。満足。遅めの昼食は、つばめグリル(1丁目の本店は建替え改装中で、五丁目の銀座コア店)へ。ここの付け合せのベイクドポテトはいつも美味い。最近、隈さんによるリノベの終わったティファニーなどをチェック。
冬至間近、満月通過
前回の翌週あたりからの動き。
月曜午前中、研究室会議。午後は設計課題TA、敷地調査の発表を聞き、それにコメントする。現場で自分が見落としていた事象もあり、勉強になる。夕方、神楽坂へ移動し、新宿区の現場の方との懇親会に出席。年度代わりで今年から担当になった方と初めてちゃんと顔を合わす。話盛り上がり、来年の展望などを聞く。火曜から木曜は、どうも作業をしたり、学内の図書館で資料を探したりしていたようだ。金曜、国会図書館へ。国会図書館は書庫から出せる資料数と、一回の複写できるページが決っているため、時間をうまく組み合わせないと時間のロスが多い。例えば、複写コーナー2箇所をうまく使い、その間に別な資料の請求をしたり、と。日曜。スタジオに入る。友達に呼ばれて、遊びに出かけた格好だったが、集められたメンバーが思わぬ人選で、かなり楽しく音楽できた。バイナリのヘイ君なども駆けつけ豪華なセッション。ただ、時間的には消化不良で、また近々に集まりたい感じ。自分としては、tko氏とハイネマン521が揃っていたのが、今までにない組合せで感慨深かった。軽く近くの飲み屋で打ち上げ。ちなつ嬢もやってきて、ホーミー談義に花が咲き、ホーミーの合唱。
翌火曜、博士課程自主ゼミ、通称Dゼミ。同期の発表、かなり議論が盛り上がり、刺激的だった。自分もがんばらねば。水曜、ここ最近の懸案事項だった論文を提出。あとは野となれ山となれ。木曜、本MTG。今日は作業日というか検討日というか、今までよりもやや議論のレベルが具体的なレベルに落ちてきたので、かなり充実していた気がする。修士課程の議論参加率も上がってきた。土曜、友人の結婚式で横浜へ。非常に素敵な祝福されるべきカップルの結婚式というのは、本当に気分が良い。みなとみらいの観覧車の見える、お二人らしいロケーション。近くには業務ビルもあるわけで日常的に観覧車が見えるってどんな気分かしらなんて思いつつ、麦酒や葡萄酒を煽る。久々に会うミュージシャン仲間と年齢と活動スタンスなどの話で盛り上がる。日曜、ジョアンは結局来なかった。残念。次の機会を心より待ち望む。
月曜午前中、研究室会議。午後は設計課題TA、敷地調査の発表を聞き、それにコメントする。現場で自分が見落としていた事象もあり、勉強になる。夕方、神楽坂へ移動し、新宿区の現場の方との懇親会に出席。年度代わりで今年から担当になった方と初めてちゃんと顔を合わす。話盛り上がり、来年の展望などを聞く。火曜から木曜は、どうも作業をしたり、学内の図書館で資料を探したりしていたようだ。金曜、国会図書館へ。国会図書館は書庫から出せる資料数と、一回の複写できるページが決っているため、時間をうまく組み合わせないと時間のロスが多い。例えば、複写コーナー2箇所をうまく使い、その間に別な資料の請求をしたり、と。日曜。スタジオに入る。友達に呼ばれて、遊びに出かけた格好だったが、集められたメンバーが思わぬ人選で、かなり楽しく音楽できた。バイナリのヘイ君なども駆けつけ豪華なセッション。ただ、時間的には消化不良で、また近々に集まりたい感じ。自分としては、tko氏とハイネマン521が揃っていたのが、今までにない組合せで感慨深かった。軽く近くの飲み屋で打ち上げ。ちなつ嬢もやってきて、ホーミー談義に花が咲き、ホーミーの合唱。
翌火曜、博士課程自主ゼミ、通称Dゼミ。同期の発表、かなり議論が盛り上がり、刺激的だった。自分もがんばらねば。水曜、ここ最近の懸案事項だった論文を提出。あとは野となれ山となれ。木曜、本MTG。今日は作業日というか検討日というか、今までよりもやや議論のレベルが具体的なレベルに落ちてきたので、かなり充実していた気がする。修士課程の議論参加率も上がってきた。土曜、友人の結婚式で横浜へ。非常に素敵な祝福されるべきカップルの結婚式というのは、本当に気分が良い。みなとみらいの観覧車の見える、お二人らしいロケーション。近くには業務ビルもあるわけで日常的に観覧車が見えるってどんな気分かしらなんて思いつつ、麦酒や葡萄酒を煽る。久々に会うミュージシャン仲間と年齢と活動スタンスなどの話で盛り上がる。日曜、ジョアンは結局来なかった。残念。次の機会を心より待ち望む。
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