2007年12月12日水曜日

危険感知

先週、僕が東京にいない間にいつも使っている電車で、若い男の人が電車と接触して亡くなったらしい。彼はどうもイアフォンをして音楽を聴いていたらしいが、それが事故と直接どのように関係あるかわからない。しかし、事故につながるリスクをあげていたことは確かだろう。
僕は普段から電車のホームでの事故は自分もその被害者になるかもしれないと思っている。電車がホームに着いて、自分の目の前を通る度に、「今この瞬間にちょっと立ち位置がぶれたら、死んでしまうかもしれない」とか考えてしまう。人がいないガラガラのホームならまだしも、ラッシュ時の新宿駅などいたら、人ごみで何かの弾みで押されて、落ちないとも限らない。ホームドアの設置が遅々として進まないけれど、早急に設置していくべきだと思う。事故による多大な損失コストよりも設置の方が安いのではないか?
最近、丸の内線にホームドアが設置されたが、ちょうど今、調整工事のため、ホームドアが開けっ放しになっている。これをはじめて見たとき、その時の自分の感覚に自分自身がびっくりした。その普段閉じているはずのドアが開けっ放しになっていることに若干心細く思っているのだ。冷静に考えれば、危険なことなどほとんどないし、去年まではホームドアすらなくて、それが普通だったのにだ。この半年程度、すっかりホームドアに守られてしまっていて、安全ボケしていたようなのだ。そこまで考えると、普段からの自分の危険認識の適当さによく気がつく。
しかし、安全とか危険とかいう感覚は常にそのようなもので、油断せずにどの状況にまで追い込まれると本当に危険でその手前までは程ほどにしておけば安全だということちゃんと認識してさえいればよいのだ。こんな当たり前のことに、開けっ放しになったホームドアは僕を小ばかにしたように開いている。そういえば、インドのムンバイの都心と郊外を結ぶ在来線はドアが開いたまま、電車が走っていたような……

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