2007年12月18日火曜日

クロッシング東松

週末は、
恵比寿、東京都写真美術館で東松照明「TOKYO曼荼羅」と、
六本木、森美術館で「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展を梯子する。
どちらもなかなかの展示数あり、恵比寿は一人の作家が多数展示しており、六本木は多数の作家が一点、ないし数点ずつ展示するというもので対照的。長時間かけて、ひとつのストーリーを展示する場合と、一点勝負の表現による展示。全く別のアプローチを続けざまに見ると、展示室の広がりと歩いていくというプロセスで見ていくということに意識的になる。美術館は移動しながら見るというところ、始まりと終わりが設定されているというところにやっぱり大きなエンパワーされたものがあるなぁと思う。
特に森美術館はなかなか広くて、いくつかのポイントがあるとはいえ、毎回展示ルートが変わり、でかい美術館だなぁと思う。それはまるで、前回歩いたときとは別な空間になっているというのは、トルネコの不思議なダンジョンみたいだ(やったことはないのだけど)。特に今回の六本木の展示はまるで、冒険ものの洞窟のようだった。

東松照明の「TOKYO曼荼羅」、案内にも紹介してあるのだけど、「日本を見つめ、」とあり、この「日本」という対象がぐさっときた。同じ日本でなにかを被写体に写真を撮っている写真ならたくさんあるし、僕自身も日本で撮れば、日本の写真が撮れるわけだが、東松の写真に対して使われるこの「日本」を見つめ、「日本」を撮るとは全く意味の違うものだと感じた。それは普段、僕らが日本で起きていることを、世間話の体で語るとき、僕らは日本を語ろうとしているだろうか?日本のことを話題をして、語っているだけでは、東松のした「日本」を見つめて写真を撮ったことと同義の会話は成立していないのだと僕は思う。そういうことを語っている写真群だった。

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